「あ!おにいちゃん、ぼくのお箸で食べないでよ。」
「ごめん、また間違えた。」
「ありゃま、間違ってこどものお茶碗で食べちゃった。今から交換する?」
「いいよ、今日はママので食べとくから。」
こんな会話が食卓で交わされること,ありませんか?
昔からある生活道具を通して、日本の良さ、日本の暮らしを見続け、紹介されてきた秋岡芳夫さんは、次のような話を示されています。
若狭といえば日本一の塗箸の産地だが、その若狭で箸を作っている業者の口から
「ねえ先生、箸というものは何百種類も作らないと商売にならんのです。なんせ日本中の人間が一人一人他人と違う箸を持たないと承知しないんですから」と。
たしかに箸を売る店のショーケースには何十種類もの色柄違いの箸がならんでいる。(秋岡芳夫「めいめいの茶碗」『暮らしのためのデザイン』新潮社)
心当たりがあります。ごはんを食べるときの箸は「自分のお箸」で食べるという意識、持っていませんか?私には小学生の二人の子どもがいて、毎日給食に使う箸を持たせるのですが、それぞれの箸を間違えて持たせると「ママ、今日弟のお箸だったよ!」
と怒られます・・・そして入れ間違えたことを私も素直に反省しています・・・
お茶碗でもそうですね。揃いのお茶碗といえば、レストラン、または旅先の旅館というイメージがあるでしょう。私の実家では、私達が結婚し、子どもがうまれるごとに茶碗を買い足してくれています。お正月などでは今のところ11人そろうので、11個のいろ、かたち、それぞれのお茶碗があるのです!家族が増えると、お茶碗も増えていくんですね。
秋岡さんは、この自分だけの茶碗、箸を「めいめいの」という言葉を使って、めいめいの茶碗、めいめい持ちの箸、という言い方をされます。この「めいめい」という言葉から日本文化に話はおよんでいくのですが、ここではおいておきましょうね・・・
「めいめいに」あらためて声に出してみるとなかなかによい響きですね。
手元にある辞書で「めいめい」を引いてみると、
「めんめん(面面)の変化。一人ひとりに別々に全部。各自。おのおの。」
とあります。一人一人の人格、個性を感じる言葉ですね。
最近、
「さく文のおしごとは楽しいですか?わたしは楽しいと思いますよ。」
と書いた手紙を作文と一緒に送ってくれたお友達がいるんですね。ほんとうにそうなんです!このお仕事はとっても楽しいのです。
同じ「秋をみつけたこと」という課題でも、送ってくれる作文はめいめいの表現で、めいめいの題材で書かれているので、いくつ読んでも飽きないのです。どれもこれも、それぞれに光るものがあります。ある人はドングリで、ある人は秋の虫で作文を書いてくれます。私はそれぞれの作文を読ませてもらって、秋というひとつ大きなイメージをつかむことができるのです。みんなの、作文を書くという行為の中に、めいめいの視点があって、そこに人それぞれのかがやきを感じています。たくさんの作文を読ませてもらうと、それぞれの作文がひびきあって、とてもいい音楽を奏でるような感動があるんですよ。
「みんなちがって みんないい」
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枝 6 / 節 13 / ID 10461 作者コード:souyo
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