昨年は、いじめによる自殺のニュースが多く報じられました。子どもを持つ身としては、とても他人事として片づけられないニュースです。私が子どものころも、もちろんいじめはありました。でも、今のように社会問題化するようなことはありませんでした。昔と今とではいったい何が違うのか。テレビや新聞では、識者がこの点について様々な見解を述べていますが、その見解を耳にする度に、当たっているようなそうでないような釈然としない思いを抱いてしまいます。ひとりひとり異なる人間の内面の問題ですから、一つの解釈、一つの方法では解決できないことなのですね。
私が昔と違うと感じることはいくつかあります。その一つ、想像力のなさについて、考えてみましょう。誰かと話すとき、誰かと関わるとき、私たちはどの程度相手のことを考えるでしょうか? 相手の立場に立って物事を考える。自分が発した言葉や起こした行動に対して、相手がどのように思うか想像する。これは、人と人とが関わる上では、必要不可欠なことです。しかし、どうも最近の私たちは、ついつい自分中心に考えてしまいがちです。また、自分が何かをするときに、「待てよ。」と一瞬考えるゆとりが持てないことも多いのではないでしょうか。子育てに関するある先生の講演で、最近の人間には、「声なき声」を聞く力がないというお話を聴きました。この「声なき声」とは、相手の心から発せられる声。そして、もう一人の自分の声を指します。つまり、私が考える想像力に通じるものでした。いじめという大きな問題を考える場合にも、そして、私たちの日常生活でも、この声なき声があるとないとでは、言動が大きく変わってくるはずです。
作文を書くという作業でも、この「声なき声」は大いに関係があると思います。テーマに従って考えを整理していると、自分では気がつかなかった自分自身の思いに気づくこともあるでしょう。また、それと同時に自分以外の人間の考え方を想像することもできるようになるでしょう。普段は想像もしなかったような自分の声なき声を知ることで、作文の世界はさらに広がるのだと思います。
毎週の電話指導の中で、私はみなさんにテーマに沿ったいろいろな質問をしたり、私自身の体験を話したりしています。このことによって、みなさんの頭や心の中にある「声なき声」の姿がはっきり見えてくることを願っています。
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枝 6 / 節 13 / ID 10636 作者コード:inoko
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