今回の学級新聞は、保護者の方向けの内容になっています。この仕事を通して、各ご家庭の学習への取り組みや、子どもとの生活の上で工夫されていることなど、いつも大変参考にさせていただいております。ふだんは、私のほうが、皆様からたくさんのことを教わっているように感じます。偉そうなことは書けませんが、親としての立場から、私の思ったことなどをお伝えしたいと思います。
作文というのは、ただ語彙が豊富で、文章の構成がうまければ、上手に書けるというものではありません。その証拠に、語彙が少なく、つたない文を書いている低学年の作文にも、たいへん感動を覚えることがあります。
中身がないものを格好をつけて書こうとしても、それは虚飾でしかありません。文章の中身を充実させるには、結局、人間としての中身を充実させなくてはならないのです。そこで、私がいつも感じるのは、家庭内での親子の対話の大切さです。毎週のお電話と作文を通して、みなさまがご家庭でお子様と折にふれて、いろいろなお話をされていることがわかります。食卓を囲んでいるときなどに、お子様とよく向き合って、たくさんお話をされているご家庭では、高学年以上になると、作文に堂々とした意見を書けるようになるものです。いつも聞いている親の話をバックボーンにして、自分の考え方、生き方というものが、徐々に作られるのだと思います。子どものために、中身のあるいい話をしようと思えば、親もたくさん勉強しなくてはなりません。
「親子の対話と言われても、小さい頃は素直だったけれど、この頃、親の話などまったく聞いてくれない。」これはよくあることです。実際、我が家でも、近頃そう感じることが増えてきました。高学年になっても、きちんと親子の対話を続けるには、どうしたらよいか、それについては今まさに模索中ですが、我が家のことをお話します。
母親の私と子どもは、性格がまったく違います。私が子どものころは、どちらかというと勉強に関しては要領がいいほうで、子どもは要領が悪いタイプ。こんな組み合わせの親子ですから、勉強を教えていると、正直、たいへんイライラすることもあります。塾か家庭教師に頼んだほうが、おそらくずっと楽でしょう。
大げさに言えば、人生の中で一番自分の思うようにならない存在であり、もっとも困難な課題を与えてくれているのが子どもなのかもしれません。せっかちなところは、私の短所です。日々、イライラをおさえて、子どもに向き合っているうちに、あることに気づきました。子どもと向き合うたびに、自分の悪いところが、まるで鏡を見ているようによく見えてきたのです。この子は、この悪い性格を矯正してくれているのかもしれない。
そう思うと、今度は逆に子どものいいところが見えてきました。私が子どものころ、家で勉強する習慣を身につけなかったのに対して、わが子は要領が悪いながらも、コツコツと毎日ほんの少しずつ(笑)、やっています。それに気づくと、「お母さんが子どものころより、ずっと偉いよ。」と、褒める言葉が自然に出てきました。そのあと、私の子ども時代について、いろいろと話して聞かせました。
当たり前のことですが、自分の子どもといっても、全くの別人格です。まずは自分と違うやり方や考え方を認めること、教えるだけでなく、親のほうが教わることもたくさんあるということを忘れないで、これからも家庭教育に取り組んでいけたらいいと思っています。親の私も、日々修行です。
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枝 6 / 節 13 / ID 10659 作者コード:sugi
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