久々に、講演会を聞いて涙を流しました。「人間へのまなざし 社会へのまなざし」というテーマでの、人権学習の一貫としての講演でした。講師の方の温かい人間味と、伝えたいと言う熱い気持ちがぐんぐん迫ってきました。すべての人が平等で、個性を持って、輝いて生きるために、いちばん伝えたかったのは、きっと人の痛みをわかるということだと感じました。
お話によると、いじめをなくすためにいちばん必要なことは、雰囲気をつくることだそうです。温かい思いやりの中で育った子どもは、必ず社会にそれを持って行くから、まず子どもたちを取り巻く場の雰囲気をかえなくてはならない。
そして、たくさんのエピソードを矢継ぎ早に話されました。「戦地で、故郷に残した家族の幸せな日を一日でも永らえるために、死に向かう持久戦を続けた兵士の話」、「障害を持つ子どもさんから届いた手紙にそえられた詩の紹介〜ありがとうはなかなか言ってもらえないから、ぼくはすぐにありがとうを言うようにしているよ〜」、「中学生ながら一家の主婦をこなし、寝たきりの祖母の介護もしている女の子の話と、それを見守る級友のふれあい」、「病気で亡くしてしまったかわいい妹が、最期にいちばん大好きなケーキの上のいちごを自分に食べさせてくれたという兄の話」。そのどれにも共通するのが、当事者の気持ちが周囲の人に余りあるほど伝わっているという事実でした。 聞いている私たちは皆、心をゆさぶられて、自分への問いかけをせずにはいられなかったのです。果たして自分は相手の気持ちにどのくらい寄り添って、それに気付いているだろうか、と。そして、会場には、あたたかい雰囲気がつくりあげられました。
講演を聞き終えて、たとえ上手くはなくても、人の心を動かす話ができるようになりたいと思いました。せめて、自分の子どもに対しては、心に残る話のひとつも語りたいとしみじみ思いました。そんな感動の不足が、いろいろな心の問題を生み出しているように感じられたからです。親からもらう話は、きっと、特別なものだと思うのです。
先日、わが子たちに「家族(友人)から学んだこと」という作文を書かせてみました。というのも、入学試験科目に400文字ほどの作文があるからです。さらさらと書いてきた作文を読んで、驚きました。なんと、ほとんど全く同じなのです。目をパチクリです。もちろん、カンニングはしていないはずなので、双子のテレパシーのなせる業でしょうか。
その内容は、「母(私のこと)から学んだこと」でした。同じ場面、同じ事で説教される場面から始まります。怖い私が、叱ってばかりいるからなのでしょうね。「書き出しの工夫」まで、いっしょでした。(笑)「ちゃんと返事をしなさい。(本当はもっとこわい)」で始まって、「言葉で伝える力は大切」と結んでありました。
ズッコケ話は、つまり、こうです。中学生になっても、高校生になろうとする年齢でも、作文の種になるのは親からの話なんです。家族のエピソードはとても大切です。言わないでもわかりあえる家族だからこそ、たくさん語り合って種を発芽させ、芽を伸ばしておくことが大切なようです。
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枝 6 / 節 14 / ID 10693 作者コード:kira
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