風雨の中、外出先から戻って車を車庫に入れようとリモコンのスイッチを押したのに微動だにしません。故障かなと思い、手で車庫の扉をこじ開けようとしてもまるで動きません。諦めて玄関のドアを開けてから停電であることに気づきます。照明はもちろん、暖房、パソコン、テレビから、台所まで日常生活のほぼ全てのエネルギーを電気に頼っている場合、いざ停電が来ると非常に心細くなります。気を取り直してロウソクをつけ、お茶でも飲んで・・・。電気が無いとお湯が沸かせないのでした。
時間が経つにつれてますます電気が恋しくなり、いかに普段自覚の無いまま電気に依存しているかを感じ始めるのです。復旧までに時間がかかったりすると、「もしかして、電気のありがたみを分からせるために電力会社がわざとやっているのではなかろうか。」などと、ひどく被害妄想的な考えが頭をよぎってしまいます。しかし周辺を見回すと、少雨ですが電気のついている家もあります。自家発電です。文句を言う暇があるなら、自分で電気を起こせばよいというわけです。そして私は先ほどの見当違いな世迷言を、頭の隅に追いやります。
フランクリンが雷雨の中、凧を使って行った電気の実験の成果や、エジソンが尽力した発電機の発明に現代人は大きな恩恵を受けています。電力会社の人たちも、嵐の中、危険な復旧作業に従事しています。彼らのような発明や、実務的な活躍はできなくとも、せめて電気が消えたなら消えたなりに楽しく過ごせる心の余裕をもちたいものです。ろうそくの灯りで語らうというのも、なかなか趣きがあります。停電にでもならなければ、あえてしようという機会も滅多に無いことですし。
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枝 6 / 節 18 / ID 10782 作者コード:unagi
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