みなさんは普段、余裕のある生活を送っていますか。余裕……。これは人によって感じ方が違う曖昧な言葉なので、少し余裕とは何かについて考えてみましょう。
ある日、学校で「お母さんの顔を描きましょう」という宿題が出たとします。どんな紙に描いてもよいし、何枚描いてもいいことになっています。上手くかけてもかけなくても、成績には一切関係ないということです。みなさんは、こういう宿題が出たときどんなことを思うでしょうか。
Aさん:「お母さんの顔かあ。ぼくはお母さんの笑っている顔が好きだから、笑顔のお母さんにしようかな。あっ、でも、怒るときもあるからこわい顔も描こうかな。絵の具、確か机の引き出しに入ってたな。今日はお母さんの顔をよく見てみよう。」
Bさん:「え〜、何でお母さんの顔なんてかかせるんだろう。母の日なんてまだだいぶ先だし。塾の宿題もやらなきゃいけないのに。面倒だな。適当にそこら辺にある紙にかいちゃえ。」
みなさんはどちらでしょうか。もし、この宿題に楽しく取り組めるAさんなら、それはみなさんが余裕のある生活をしているということです。さあ、Bさんの人いませんか? Bさんなら、ちょっと危険信号ですよ。
余裕のある生活、それは、いつも何かを受け入れられる時間を持っていること。そして、受け入れようとする気持ちを持っていることです。この余裕は実はとても大切。もし余裕をなくしてしまうと、考えることをやめてしまうことになるからです。学校や塾の先生の話したことを一生懸命メモをとって聞いて、家に帰って復習し、次の日の予習をすることはもちろん大切です。でも、覚えることと考えることは違います。「これはどうなのかな。どうしようかな。あっ、こうしたらどうだろう。」こう考えられるのは、心に余裕があるときだけです。時間がなく、あせっているときは、考える暇があったら単語の一つでも覚えたいという心境になってしまいますね。
今、「ゆとり教育」の改善が叫ばれています。もともとゆとり教育とは、子供たちが自ら考える力、生きるために必要な力を育てようということで始まりました。でも、それが学力低下の原因だとされ、見直されているんですね。ただ、考える力はあまり必要ではないのか、というとそんなことはありません。学校の勉強に関係することもしないことも、ゆっくり、よく考える、これは絶対に必要です。考えれば、何かを予想する力がつきます。予想ができれば、様々な新しいことに対応することができます。みなさんがこうして暮らしている二〇〇七年と、大人になってから過ごす時代は全く違うもののはずです。そんなとき、考える力、予測する力、対応する力がなければ、時代の変化についていくことはできません。そして、これらの力は全て余裕のある生活から生まれるのです。もし今、時間がない、余裕がない、と思っている人は、ちょっとここで立ち止まり、自分の生活を見直してみましょうね。
|
|
枝 6 / 節 13 / ID 10812 作者コード:siro
|