先生は大人になった今も、ときどき思い出す言葉があります。20年前の小学4年生のとき(年齢がバレますね)、算数の授業中にだれかが「こんな計算、大人になったら必要ないよぉ。」と言いました。すると担任の先生が、教室のすみにあった1つの花びんを手にして、こんなことをおっしゃいました。
「この花びんを見て、みんなはどんなことを考えるかな。算数の目でみてごらん。この花びんには何リットルの水が入るかな。次は社会の目で見てごらん。花びんはだれがどうやって作ったのだろうか。理科の目で見たら、どんな物質でできているのか気になるね。ガラスかな、銅かな。音楽の目だってできるよ。たたいたら、どんな音がするかな」。
そして先生は、こうつけ加えられました。
「みんなは、毎日いろいろな教科を勉強しているけど、大人になるにはどれも大切な教科なんだよ。ある1つの物を見て、どれだけ多くの見方ができるか。1つの考えに満足しないで、いろいろな角度から筋道をたてて考えられる人間になってもらいたいから、いろいろな勉強をしているのだよ」。
まだ9歳だった先生には意味がよく分からず、「体育の目で考えて花びんを遠くに投げたら、割れるなぁ」などと、くだらないことを考えていましたが、しっかり者のみなさんはどう思いますか(^_^)?
正直言って、高校で習う数学問題などは、先生が大人になって会社で働いていたときには一度も使ったことはありません。だけど、「使わない」と「必要ない」は違うと思うのです。学んだ知識がたくさんあれば、それが武器になってどんなことにもチャレンジできます。でも何も勉強しなければ、何もできません。ほら、たとえばプールの時間に大きなバスタオルで体を包むと暖かいでしょ。小さなハンドタオルでは、背中すらも暖かくならない。大きいほうが安心、知識はたくさん持っている方が万全ということです。先生はそう思うよ。
だから、作文はもちろんですが、どんな教科もがんばって取り組んでほしいのです。「長文音読なんて意味ないよ」なんて思っていませんか。先生も小学生のころ「むだ、むだ!」と思いながら、学校の宿題でいやいや音読していました。でも不思議なことに、いまでも「ちいちゃんのかげおくり」「太郎こうろぎ」「一輪の花」「やまなし」など、ところどころですが文章を覚えています。それらの文章が直接何かの役に立つわけではありませんが、先生の脳みその栄養となっているのは確かです。
みなさん、たくさん音読してください。読めば読むほど、目から耳から口から美しい文章が吸収され、頭の中の栄養となります。作文を書けば書くほど、あなたのバスタオルは大きく大きくなります。ふかふかほわほわのバスタオルを目指してがんばりましょう。
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枝 6 / 節 12 / ID 11058 作者コード:harako
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