アメリカで開催された日米大学野球選手権。日米大学野球に興味があるというよりは、佑ちゃんこと早稲田大学・齋藤佑樹投手の人気で注目された大会でした。相変わらずその人気はすさまじく、いつでもカメラが狙っている状態。しかしそのスター性から、先発した第3戦には日本を見事優勝に導きました。
齋藤投手を初めて見たのは、去年の夏の甲子園。テレビの中でバンビのようにかわいらしい青年が(失礼な言い方でごめんなさい。本当にかわいく思えたのです^^;)、きちんとたたまれた水色のハンカチで品良く汗を拭いていました。やはりそれは世間の注目を浴びて、「ハンカチ王子」として騒がれはじめたのです。そこからの齋藤投手がすごかった。注目を浴びれば浴びるほど、それを力としていくようでした。決勝では再試合という激闘の末に優勝を勝ちとり、大学に進んだ現在まで活躍は続いています。
甲子園で優勝を決めた瞬間の齋藤投手は、マウンドの上で拳をにぎり「ウォ――」と叫んだように見えました。その姿を見たとき、私はある同じような光景を思い出したのです。
それは、私がまだ高校生だったときの夏の甲子園。優勝の瞬間に、にぎり拳でマウンドで叫んだのはPL学園の桑田真澄投手でした。
桑田投手のことは、私と同じ名前ということもあって、大会中ずっと注目していたのです。4番には清原和博内野手というスターもいて、もともと優勝候補の筆頭でした。二人もそのプレッシャーを力にするように爽やかに活躍し、優勝したときは、まるで友だちのように誇らしく思ったものでした。
翌春、桑田投手は読売巨人軍に、清原選手は西武ライオンズに入団して、プロ野球人生が始まりました。今の齋藤祐樹投手と同じ年ですが、21年前なので、齋藤くんが生まれる前のことです。桑田投手は、もとは早稲田大学に進むつもりだったということですから、齋藤投手と考え方も似ているかもしれません。清原選手は、熱望していた巨人に指名されなかったことから、涙を流した場面もありました。
それからずっと二人を応援してきました。若いときから今まで同じ時代を生きながら、時には元気をもらい、時には辛さを共感してきました。その現役人生も終盤にさしかかったようです。
桑田投手は巨人軍を辞めて単身アメリカのメジャーリーグに挑戦しました。それは何の保証もない旅立ち。私まで緊張しました。そして、現地での怪我を乗りこえ、見事メジャーリーグのマウンドに立ったとき、またあの甲子園で感じた誇らしさを思い出しました。20年という長い年月、プロの世界で生き、さまざまな経験を積み重ねながらも、ずっと同じ心を持っていたんだ。それは野球に対する正直な気持ち。野球をやっていたいという素直な心がマウンドからあふれているようでした。
清原選手は、齋藤佑樹投手が日米大学選手権で優勝を決めた勝利投手になった日に、再起を懸けた膝の手術を受けました。怪我や不振に悩まされた数年間。再起できる保証はありません。引退すれば楽になれるかもしれない。それでも現役にこだわって最後のチャレンジにでたのは、やはり、野球に対する正直な気持ち、野球をやっていたいという心でしょう。
日米大会後、あるアナウンサーが齋藤投手に「10年後はどうなっていると思うか」と聞きました。答えは「野球をやっていたい」。ああ、同じ心を持っている。新旧の現役野球人が私の中でつながりました。
この純粋な気持ちこそが、プレッシャーを力にするのだと思ったのです。
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枝 6 / 節 13 / ID 11382 作者コード:yuta
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