【ある哲学者の旅立ち】
今年の2月、哲学者の池田晶子さんが亡くなりました。私より3歳年上なだけの、まだ40代半ばでした。ご病気だったらしいのですが、訃報は新聞にも載りました。池田さんは、私もこの学級新聞でずいぶん前に取り上げたことがある、『14歳からの哲学』の著者です。わかりにくい、とっつきにくい「哲学」という学問を、そして「考える」とはどういうことかを、わかりやすい言葉で私たちに語りかけてくれた人でした。
彼女の著書を何冊か読んでいると、「機械の操作が苦手」「パソコンも持たない」「自分で考えて得た『知識』以外の情報はいらない」「じいっとして自然や宇宙を感じ考えていると、それだけで充分」などなど、人としてはとても現実感がないというか、浮世離れしているというか、「そこまで徹底した生き方って素敵だなあ」と、私は何となく憧れのようなものを感じていました。
そして、「もともと体すなわち肉体という存在に、実在感を覚えにくい。」「思考の実在感の前には、肉体なんてあってなきがごとき存在だ。」(『暮らしの哲学』)などと書かれているものですから、これはもう仙人のような人ではないか、と不思議に思っていましたら、本当に早くにあちらへと旅立たれてしまいました。最後の著作となったこの『暮らしの哲学』には、このような記述があります。
「最終的には、この『自分』というものをこそ、捨ててしまいたいのだ。完全に姿を消して、そんなものはいないかの如くに振る舞う。……そして、自分が死んだということすら気がつかないぐらいに自分がいなくなった時、人生と存在の本当がわかるのだ。どうしてもそんな気がする。」
この時、すでに病気療養中だったはずですから、ご自分の行く先を見据えてのことだったのかもしれません。ですが、これを読む限り、彼女は本望だったのかな、とも思いました。後世の人々にとっては、惜しい人を亡くしましたが。
【なぜ14歳なのか】
彼女の著作、『14歳からの哲学』は、なぜ「14歳」なのか。それについて、前述の本に、興味深い話が載っていました。
一時、14歳の少年が犯す犯罪について、社会問題化したこともありましたが、池田さんによると、精神の発達において、人は14歳で「人間として生まれる」のだと言います。つまり、それまでは生物として生まれ、育ってくる。そして14歳ごろになって、初めて言語と論理を獲得するのだというのです。つまり、ものごとを「理屈によって理解できるようになる。」
そして実際に、このような体験を書かれていました。ある中学へ出張授業をしに行くことになり、前もって生徒達に「戦争は本当に悪なのだろうか」というコラムを読んでもらい、それについての作文を書いてもらったそうです。そうしたら、なんと1年生の半分近くが、「戦争は悪ではないとわかりました」という作文を書いたというのです!
これが3年生になると、「ちゃんと自分で考えることが大切だとわかりました」というふうに書いてくるそうです。ここに、13歳と15歳との間、14歳という大切な時期があると、彼女は言います。13歳は、まだ、自分の言葉で考える訓練ができていない。だから、言われたまま素直に、うなずいてしまう。まだ、一人前の人間として生まれていないのですね。
★今回は少し難しい話になりました。いま、言葉の森で作文を学んでいる生徒さんは、14歳前か、ちょうどその年頃の生徒さんが多いと思います。「自分の言葉で、自分で考える」訓練がどんなに大切か。それは、14歳ごろにちゃんと「人として生まれることができるかどうか」にかかわっているのです。さあ、がんばって難しい長文も読んでいかなくちゃ、ね。
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枝 6 / 節 11 / ID 11563 作者コード:hota
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