この夏、みなさんの作文を添削しながら、毎晩世界陸上の中継を見ていました。期待されていた日本人選手達が次々に敗退し、カメラの前で唇をかんでいるのを見ながら、しみじみ思ったことがあります。
「文章を書くことが、こんな風に一回で決まってしまうものでなくて、本当によかった」
想像してみてください。 あなたが作文を書いている横にテレビ局の人が来て、アナウンサーが実況中継を始めたとしたら。
「○○選手、今作文を書きはじめました。おっとー、最初は書き出しの工夫だ! なになに? 『ザザアと波の音が聞こえます』ですか。解説の××さん、いかがですか? この書き出しは」
「うむ、悪くはありませんが、いまひとつオリジナリティーに欠けているようですな」
なんて言われたら、ほとんどの人は逃げ出したくなると思います。
スポーツ選手というのは、こういうプレッシャーに耐えつつ、世界の強豪相手にその場で勝負をしなければいけません。また、その日体調が悪くて転んだとしても、「あ、今のは無しね。もう一回」というわけにもいきません。その上メダルがとれないと、新聞やニュースで叩かれたりするわけですから、本当に大変なことですね。その点、文章を書くというのは、たとえそれが職業作家であろうとも、みんなに見つめられつつその場で結果を出す、ということを求められたりはしません。よほどの売れっ子なら、締め切りに追われて時間がないかもしれませんが、普通は一人でひっそり納得するまで取り組んで、ミスがあればそれを正し、気に入らなければ書きかえることができます。これを、難しい言葉で「推敲(すいこう)」と言います。何回でも気がすむまで、「今のは無しね」ができるのです。スポーツ選手に比べて、なんと恵まれたことではありませんか。
そんなわけで、多くの作家は推敲に大変力を注ぎます。先生の知っている作家さん達は、たいていこう言います。
「小説を書いている時間よりも、推敲している時間の方がずっと長い」
いったん書いた原稿(これを、第一稿といいます)を、何回も何回も読み直し、書きかえ、よりよいものにするべく努力をする。それはとても地味で、根気のいる作業です。しかし、この作品をもっとよくしたい。いちばん読者の心にひびくような、形にしたい。その思いを胸に、ひたすら自分の文章と向き合うわけですね。その結果、第一稿が影も形もなくなるくらい、書きかえることになったりもします。プロの作家ですら、一回書いてそれが百点というわけには、とうてい行かないということです。
ですから、みなさんが書いた作文も、手を入れればもっともっとよくなる可能性があるのですよ。月に一度、清書をしますね。その時こそ推敲のチャンスです。面倒くさいでしょう。せっかく書いたのに、変えるなんていやだと思うことでしょう。でも、それが一回きりで勝負が決まらない、作文のよいところでもあるのです。ぜひ、「もっとよくするためには、どうしたらいいのかな」という気持ちを持って、自分の作文と向き合ってみてくださいね。
|
|
枝 6 / 節 12 / ID 11584 作者コード:yasu
|