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言葉の森新聞2007年11月3週号 通算第1007号 枝 0 / 節 1 / ID 印刷設定:左余白12 右余白8 上下余白8
  ■1.11月23日(金)は休み宿題
  ■2.11月の清書からHPアップロードはパソコン清書のみに
  ■3.信じて見守る(ともち/きり先生)
  ■4.秋の夕暮れに(うるっち/かん先生)
  ■5.スポーツの秋 体を動かそう(ひまわり/すぎ先生)
  ■6.いい文章を味わって(はち/たけこ先生)
 
言葉の森新聞 2007年11月3週号 通算第1007号

https://www.mori7.com/mori/

森新聞
枝 1 / 節 2 / ID
1.11月23日(金)は休み宿題 枝 4 / 節 3 / ID 11643
 11月23日(金)は、休み宿題です。先生からの電話はありませんが、その週の課題を自宅で書いて提出してください。先生からの説明を聞いてから書きたいという場合は、別の日に教室までお電話をして説明をお聞きください。(平日午前9時〜午後7時50分。電話0120-22-3987)
 電話の説明を聞かずに自分で作文を書く人は、ホームページの「授業の渚」か課題フォルダの「解説集」を参考にしてください。
 「授業の渚」 http://www.mori7.com/nagisa/index.php
 「ヒントの池」 http://www.mori7.com/mine/ike.php
枝 6 / 節 4 / ID 11644
作者コード:
2.11月の清書からHPアップロードはパソコン清書のみに 枝 4 / 節 5 / ID 11645
 11.4週の清書から、次のように変更します。
これまでこれから
・手書き清書→1か月分のみHPで閲覧可(小2以下は印刷配布)
・パソコン清書→すべての月にわたってHPで閲覧可
・優秀作品→小3以上の手書き清書パソコン清書から選抜して印刷
・手書き清書→HPでは閲覧できません(小2以下の印刷配布もありません
・パソコン清書→すべての月にわたってHPで閲覧可
・優秀作品→全学年の手書き清書パソコン清書から選抜して印刷

 したがって、手書きの清書はHPで見られなくなりますので、残しておきたい場合は、先生に提出する前にコピーをとっておかれるとよいと思います。
 また、清書は、できるだけパソコンで入力してHPにアップロードしておかれることをおすすめします。

 以上の変更の理由は、(1)生徒数の増加により手書きの清書を毎月HPにアップロードすることが日程的に難しくなったため、(2)パソコンで入力した清書が蓄積されれば指導のアドバイスがしやすくなるため、です。

 なお、今後、毎月第4週は、読解問題(及びできる人はパソコン清書も)という形を検討しています。
枝 6 / 節 6 / ID 11646
作者コード:
3.信じて見守る(ともち/きり先生) 枝 4 / 節 7 / ID 11647


 私は4月から、耳の不自由な高三の女の子(A子ちゃんとします)の補助として、数学と英語の授業についてきました。ところが、この10月から、私はA子ちゃんの数学の授業につくことが時間的にできなくなりました。病気で長期の休みを取られたある先生の代わりに、私が英語の授業を持つことになってしまったからです。そこで、私の代わりの先生がA子ちゃんの数学の補助についてくれることになりました。
 10月になり、A子ちゃんに「数学の授業で困ったことはない?」と聞いてみたところ、「新しく補助についてくれている先生は親切すぎる」というのです。A子ちゃんが自分でわかっているところまで、一つ一つ丁寧にノートに書いてくれるのだそうです。A子ちゃんは、自分で授業を受けて、先生の板書や口の動き方を見て、それでもわからないことを教えてくれたら十分だというのです。私はポイントを説明する以外は、A子ちゃんが「今、なんて言ったの?」「これはどういうこと?」など、聞いてきたことに対して答えることにしていました。その少し不親切だとも思われるやり方のほうがA子ちゃんはよかったというのです。

 私たちは教える側になったとき、どうしても、手とり足とり、先回りをして、相手ができることまでやってしまうことがあります。それでは教えてもらう側が自分で考える楽しみを味わうことができなくなります。

低学年の保護者の方から、「表現のまちがいを直した方がいいですか?」や「作文に書くことについて、アドバイスをしてもいいですか?」と聞かれることがあります。子どもが作文を書くときは、ついそばで見ていて口出ししたくなるということがあるかもしれません。でも、そこで、あれこれ口出しをすると、自分で考える力をうばってしまうことになります。なかなかむずかしいことかもしれませんが、子どもの力を信じて、見守ってあげるのが一番だと思います。

                 
枝 6 / 節 8 / ID 11648
作者コード:kiri
4.秋の夕暮れに(うるっち/かん先生) 枝 4 / 節 9 / ID 11649
「あ、タイミング悪すぎ。終るまで少し待とう。」
そう心の中でつぶやいて学童の玄関の陰にそっと身を隠しました。

 先日のことです。長男を学童に迎えに行くと、ちょうど指導員さんが子どもたちにお説教をしているところでした。全く気にもしていなかったそのお説教が急に気になりだしたのは「シュンスケ」という長男の名前が耳に飛び込んできたからです。これは何かあったかな? ひとことも漏らさないよう、注意深く聞き耳をたててみました。どうやら誰かが殴る蹴るの暴力をふるったようです。絶対にしてはいけないことだと訴える指導員さんの声はいつになく熱を帯びています。そして、その暴力をふるわれた方が長男なのでした。どうしたのかな? 何があったのかな? 急に心配になり、背中に冷たい汗が流れるような嫌な気分です。

 学童から出てきた長男のほっぺには、ひっかいたような傷がいくつか刻まれていました。
「どうしたの、そのほっぺ。傷があるよ。何かあったの? 」
長男の顔をのぞきこみながらそう尋ねました。もちろんこっそり話を聞いていたことは内緒です。
「なんでもないよ。もう忘れた。」
私の問いかけに、ひとことそっけない返事をして先を歩く長男。
「だって、変だよ、そのほっぺ。ケンカでもした? 」
懲りずにしつこく聞いてみました。
「だってもう忘れちゃったから答えらんないよ。やなことはすぐ忘れちゃえってママ、自分でよく言ってんじゃん。」
もともと頑固な子ですが、どうしても真相を話そうとしません。でも、何もないわけありません。指導員さんの話もありますし、ひっかき傷もあります。

 学童そばのコンビニでちょっとしたおやつを買い、二人でつまみながら弟たちの待つ保育園に向かいます。金木犀の甘い香りが鼻をくすぐる秋の夕暮れ、辺りにはすっかり夜の気配が漂っています。おやつのチョコレートのおかげでちょっぴりリラックスしたのでしょう。長男は少しずつ、ポツリポツリと話をしてくれました。同じ学年のコウキくんといざこざがあったそうです。
「そう、それは頭にきたでしょ? そういうときは隠さないでママに言ってね。一緒に怒ってやるから。わかった? 困ったことがあったら何でも言うんだよ。」
私は心底そう思いました。その一方で、どうしてママには言えないの? ママのことなんて頼れないって思ってるの? そんな不安や苛立ちも混ざった感情が心をふさぎました。

 わが子にはそんな注文をつけてみましたが、自分自身を振り返ってみると長男と全く同じなのです。問題が深刻であるほど両親に愚痴をこぼしたり相談したりということができません。いつも自分ひとりで手探りで答えを見つけ出しました。それは大人になっても一向に変わらず、就職や転職、結婚といった人生の転機においてさえ自分で決断する子になってしまいました。いつだって事後報告です。子どもを持って初めて、両親の苦悩が手にとるように理解できました。さぞ心配したことでしょう。言い出したら聞かない子だから……そう現実を受け入れるようになるまでには幾度も葛藤があったと察します。でも、相談しないのは決して親を信頼していないからではありませんでした。親を困らせてはいけないような気がして言えなかったのです。大好きな両親への私なりの思いやりでした。

 人間には生まれ持った気質があると常々思うのですが、私も長男も、問題が起きたらまず自分の力で乗り越えようとするタイプなのでしょう。ときにかなりの困難や遠回りを強いられることを実感したからこそ、子どもにはなるべく同じ苦労をかけたくないと思ってきました。でも、その考えこそが大きな勘違いなのかも知れません。わが子の人生は親の人生をやり直す場ではないですし、主人公はあくまでも子ども自身。苦労と思われる部分も主人公が体験しなければ意味がありません。確かに間違いのない人生は楽でしょうし輝かしいものに見えるかもしれません。でも、間違いのない人生なんて薄っぺらでなんの面白みもありません。

 きっとこの先も、長男は私を頼らず自分自身の力で山を乗り越えていくのだと思います。私の手を離れ少しずつ自分の足で人生を歩み始めた長男。
「がんばって。応援してるからね。」
そうささやきながらぎゅっと長男の手を握りしめた秋の夕暮れは、心にぽっと灯をともしてくれるような懐かしい雰囲気が漂っていました。
            
枝 6 / 節 10 / ID 11650
作者コード:kan
5.スポーツの秋 体を動かそう(ひまわり/すぎ先生) 枝 4 / 節 11 / ID 11651
 今年は残暑が厳しく、9月まで暑い日が続きましたが、やっと本格的な秋が来ました。幼稚園や小学校では運動会が盛大に行なわれています。スポーツには最高の季節になりましたが、みなさんは普段積極的に体を動かしていますか?

 先日、子どもの体力低下に関する気になる新聞記事を読みました。文部科学省の2006年度体力・運動能力調査によれば、小学生の運動能力は20年前をピークに低下し始め、ここ10年間は低水準のまま移行しているそうです。つまり、20年前からしばらくの間は、スポーツテストの平均記録がどんどん悪化し、最近10年間は数値がほぼ横ばいだというのです。
 このデータから、どんなことが読み取れるでしょう。最近の10年間はあまり変化がないということで、単純に「心配する必要はない」と考えますか? データの意味をきちんと読み取るためには、小学生の体力低下の原因を考える必要があるでしょう。
 初代ファミコンの発売が1983年と言いますから、20年前と言えば、本格的な家庭用ゲーム機が普及し始めた頃と重なります。現在では、携帯用のゲーム機を複数持っている人も珍しくないようですね。この夏、大人も子どももたくさん集まって、友人宅でホームパーティーをしたのですが、その時に、子ども達が円座になって、一人一台携帯用ゲーム機を使って遊んでいました。大人から見ると、少々異様な光景だったので、「今どきは、みんなこうなのかな。」「今の子は、あれが楽しいんだろうな。」と口々につぶやいていました。昔は、みんなが集まれば近所の空地に行って棒切れやガラクタを拾って遊ぶか、家の中でも押入れに入ってかくれんぼをしたり、新聞紙を丸めてバットとボールを作って、最後は必ず大人に叱られていたものです(笑)。
 体力低下の原因は、もちろんゲームの普及だけではありません。たとえば、マンションの五階まで上がるとき、階段を使いますか? そういう人は少ないでしょう。しかし、古い四〜五階建ての建物には、エレベーターのないものもあります。それが建てられた頃は、五階までは階段で問題なしという意識があったのでしょう。私達の意識も、ずいぶん変わってきたのですね。

 さて、新聞記事のデータの意味ですが、この調査を監修した順天堂大の内藤准教授は「運動不足の状態が行き着くところまで行った印象がある」と分析しています。万年運動不足の生活が定着し、落ちるところまで落ちたということでしょうか。確かに、塾や習い事で忙しかったり、住宅事情や住環境から体を動かす遊びを簡単にできなかったりということもあるでしょう。しかし、少し意識を変えるだけで、体力低下を防げる可能性があるはずです。これは、大人もしっかりと考えていかなくてはならない問題ですね。
 いろいろと書いてきましたが、何よりも、スポーツや遊びで体を動かすことはすばらしく楽しいので、それを子どものうちに、みなさんにたっぷり味わってもらいたいと思います。この秋、思い切り体を動かして、その経験を作文にも存分に活かしてくださいね。
枝 6 / 節 12 / ID 11652
作者コード:sugi
6.いい文章を味わって(はち/たけこ先生) 枝 4 / 節 13 / ID 11655
 みなさんには、部活や習い事など、いっしょうけんめいがんばっているものがあると思います。サッカーやピアノ、ダンスに野球など、じょうずな人を見ると、あんなふうになりたい、少しでも近づきたい、とお手本にすることもあるでしょう。じょうずな人を見てこそ、自分も努力しよう、進歩しようとがんばれるのではないでしょうか。自分より上の人がいる、尊敬できる人がいる、ということを知っているのは、感動することでもあるし、うれしいことでもありますね。


 作文も実はそれと同じです。でも、作文の場合は、「あの人のシャーペンの動かし方はうまい!」というお手本のしかたではありませんよね。この場合はじょうずな人をお手本にする、というのでなく、じょうずな文を読む、ということになります。反対に言うと、じょうずな文を読んだことがなければ、じょうずな文はなかなか書けないということになります。

 私がすすめたいのは、大人の小説家が書いた、読みやすいエッセイを読むことです。本にはたくさんの種類があります。自分の経験をそのままに書いた本もあります。それは、文はそんなにじょうずでなくても、経験で人を感動させる本です。それから、外国の本を日本語に翻訳した本もあります。しかし、そういう本はどうしても、もとの外国語の作家がくふうした文そのままを日本語に完全にうつしかえることはできません。小説家は「日本語の文章のプロ、達人」です。一つ一つの言葉の選び方、そして文のならべかたにも、くふうをはらっています。短い文のつみかさねのようでいて、そこには、なめらかな調べ、美しいひびきがあり、人の心を動かすためにはこれしかないということばがはめこんであるのです。そういう人が書いたエッセイは、小説より短いだけに、さらに文にはくふうがしてあります。ただし、「こんなにがんばっているんだ!」ということが見えないくふうです。野球選手のイチローが外野から矢のような送球をするとき、見ている人は、そのための地味な練習や努力でなく、美しいフォームによいしれるのです。いい文も同じで読んでいるだけで、知らず知らずことばの美しさに気持ちがよくなってくるのです。

 ただし、中高生のみなさんが読むためには、明るく、わかりやすいエッセイのほうが理解しやすいと思います。いくらいいエッセイでも文章が難解ならつまづいてしまいます。といっても、どんなにエライ小説家でも「子ども向け」に書いたものは私はすすめません。子どもの本には子どもの本を書くプロがいます。大人の本を書いている小説家は子どもの本のプロでないので、たまに子ども向けに書くと、どうも考えちがいをしたような、ぶきように赤ちゃんことばであやすような文になってしまいがちです。

 では具体的にというと、これがむずかしい。村上春樹は達人ですが、読みやすいものには、大人のための下ネタ(!)が入っているのです。ただし上品に、ですが。一番は田辺聖子が朝日新聞に連載していた『文車日記〜私の古典散歩』。今は新潮文庫などにあります。これは、短いし、田辺さんが好きな古典一つ一つについてその良さをわかりやすく、美しい文で書いています。古典のことも身につくし、一石二鳥。平安時代の本大好き少女『更科日記』のところなど、共感する人も多いのでは。男性だと、背伸びをして小林信彦の『人生は五十一から』シリーズ。今のテレビから、昭和の日本、戦後の日本など、あらゆる体験をおしゃれに書いています。意外に、さくらももこさんもエッセイは達人。最初はそこから入って、文章作りそのもののうまさを味わうのもいいかもしれません。
枝 6 / 節 14 / ID 11656
作者コード:takeko
枝 9 / 節 15 / ID 11656
 
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