みなさんには、部活や習い事など、いっしょうけんめいがんばっているものがあると思います。サッカーやピアノ、ダンスに野球など、じょうずな人を見ると、あんなふうになりたい、少しでも近づきたい、とお手本にすることもあるでしょう。じょうずな人を見てこそ、自分も努力しよう、進歩しようとがんばれるのではないでしょうか。自分より上の人がいる、尊敬できる人がいる、ということを知っているのは、感動することでもあるし、うれしいことでもありますね。
作文も実はそれと同じです。でも、作文の場合は、「あの人のシャーペンの動かし方はうまい!」というお手本のしかたではありませんよね。この場合はじょうずな人をお手本にする、というのでなく、じょうずな文を読む、ということになります。反対に言うと、じょうずな文を読んだことがなければ、じょうずな文はなかなか書けないということになります。
私がすすめたいのは、大人の小説家が書いた、読みやすいエッセイを読むことです。本にはたくさんの種類があります。自分の経験をそのままに書いた本もあります。それは、文はそんなにじょうずでなくても、経験で人を感動させる本です。それから、外国の本を日本語に翻訳した本もあります。しかし、そういう本はどうしても、もとの外国語の作家がくふうした文そのままを日本語に完全にうつしかえることはできません。小説家は「日本語の文章のプロ、達人」です。一つ一つの言葉の選び方、そして文のならべかたにも、くふうをはらっています。短い文のつみかさねのようでいて、そこには、なめらかな調べ、美しいひびきがあり、人の心を動かすためにはこれしかないということばがはめこんであるのです。そういう人が書いたエッセイは、小説より短いだけに、さらに文にはくふうがしてあります。ただし、「こんなにがんばっているんだ!」ということが見えないくふうです。野球選手のイチローが外野から矢のような送球をするとき、見ている人は、そのための地味な練習や努力でなく、美しいフォームによいしれるのです。いい文も同じで読んでいるだけで、知らず知らずことばの美しさに気持ちがよくなってくるのです。
ただし、中高生のみなさんが読むためには、明るく、わかりやすいエッセイのほうが理解しやすいと思います。いくらいいエッセイでも文章が難解ならつまづいてしまいます。といっても、どんなにエライ小説家でも「子ども向け」に書いたものは私はすすめません。子どもの本には子どもの本を書くプロがいます。大人の本を書いている小説家は子どもの本のプロでないので、たまに子ども向けに書くと、どうも考えちがいをしたような、ぶきように赤ちゃんことばであやすような文になってしまいがちです。
では具体的にというと、これがむずかしい。村上春樹は達人ですが、読みやすいものには、大人のための下ネタ(!)が入っているのです。ただし上品に、ですが。一番は田辺聖子が朝日新聞に連載していた『文車日記〜私の古典散歩』。今は新潮文庫などにあります。これは、短いし、田辺さんが好きな古典一つ一つについてその良さをわかりやすく、美しい文で書いています。古典のことも身につくし、一石二鳥。平安時代の本大好き少女『更科日記』のところなど、共感する人も多いのでは。男性だと、背伸びをして小林信彦の『人生は五十一から』シリーズ。今のテレビから、昭和の日本、戦後の日本など、あらゆる体験をおしゃれに書いています。意外に、さくらももこさんもエッセイは達人。最初はそこから入って、文章作りそのもののうまさを味わうのもいいかもしれません。
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枝 6 / 節 14 / ID 11656 作者コード:takeko
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