うちには現在中学1年生の息子がいるのですが、自分の子ども時代と比べてあまりにも違うので、これまで困惑ばかりしてきました。
ところが先日、“男性と女性は違う”という話を聞く機会があり、違って当たり前なんだと思えるようになりました。
たとえば、こうです。息子は小学生時代、なかなか宿題をしませんでした。マンガを読んだり、パソコンをしたり、好きなことばかりしています。こちらは心配なので、「早く宿題やっちゃいなさい」などと何度か言うのですが、息子は「はーい」と気楽に答えては、遊び続けます。結局しまいには「なんでやらないのっ!?」と責めることになってしまうのです。
子ども時代の私は、学校から帰ったら、まず宿題をやり終えないと気がすみませんでした。学校の先生が「これをこのようにやってきなさい」と言ったら、なんの疑いもなく言われたとおりにやりました。真面目な優等生です。
ですから、私は宿題をしないで平気でいる息子に対して、「どうしてやらないの!?」と言いたくなります。言われたとおりにやれば、叱られずにすむし、成績だって上がるのに。
これは性格的なものなのかと思っていたのですが、実は「男女の違い」のためのようなのです。
男性は納得のいく理由と結論を自分で見つけて、はじめて自ら行動できるのだそうです。 宿題をやらないのは、息子にとって「宿題をしなくてはいけない理由」がないから。“後でもいい”とか“こっちの方が面白い”とか「やらない理由」の方が勝っているのでしょう。
一方、小学生の私には「宿題をしなくてはいけない理由」なんて必要ありませんでした。「だって先生が言ったんだもの。」それだけ。女性は、他者が「自分と同じ考え」であることを望むのだそうです。先生の言うことに同調することで安心していたのでしょう。
お母さんは「どうしてやらないのっ!」とよく言いませんか? ところがこの場合、“どうして”と言っておきながら、母(女性)が求めている答えは「理由」ではなくて『共感』なのだそうです。確かにそのとおりで、私は、息子に「そうだね。お母さんの言うとおりだね。」と答えてすぐさま行動してほしいのです。
だというのに息子はだまり込むばかりです。私はイライラします。男の子はこのとき、“どうして”に答えようと『論理』を探しているのだそうです。しかしたとえ息子が「後でやろうと思っているんだよ」と理由を答えたとしても、イライラした私は「グズグズ言ってないで、今すぐやりなさいっ!」と百倍くらいの勢いでやり込めてしまいます。
母が求めている答えと、息子が探している答えが違うのですから、結局もの別れに終わります。
性格的なものなら、親として良い方向に持っていかなければと焦りますが、これを男女の違いだと解釈すると気が楽になります。違って当たり前だと思えるのです。
ただ、『論理的』に理解できるようにアプローチするのはちょいと難しい。うちの子は、私が説明してもニコニコと聞くだけであまり進歩しません。楽しいおしゃべりで終わってしまいます。息子は母に難しい話など求めていないみたいです。
同じことでも、主人が論理的に説明すると、息子が劇的に変わる場合があります。男は男同士のほうがスコーンとはまる説明ができるようです。
息子が3才のとき、それまで私のことを「ママ」と呼んでいたのに、突然「お母さん」と言い出して驚いたことがあります。
幼稚園でお母さんの歌を習った息子が、主人に「どうして『お母さん』っていうの?」と聞いたので、主人が「お母さんは日本語で、ママは外国の言葉だよ。赤ちゃんがマ・マっていいやすいからママって言うんだよ」と説明したのだそうです。すると息子が「ぼくは日本人だし、赤ちゃんでもないから、お母さんって言うよ」と言って、私のもとに「おかあさ〜ん」と呼びに来たのです。
その瞬間から、息子は「ママ」と呼んでいたことは忘れてしまったようです。一度論理的に納得すると、男の子は迷いがないように思います。
心配ないもので、中学に入ったら宿題は学校ですませてくるようになりました。入学してすぐ、学校の先生に「空き時間に宿題をやってしまうといいよ」とアドバイスされたそうです。それが息子の『論理』にはまったのでしょう。 家では相変わらず好きなことばかりしていますが、宿題に関してとやかく言うことはなくなりました。。
男の子はマイペースで不器用で、すんなり成長してくれないけれど、ひとつひとつかみしめ、悩み、乗り越えて、納得しながら自分で大人になっていくのですね。
最後におまけですが、夫婦の間でも男女の違いには要注意。 「まったくもう、全然勉強しないのよ」とグチった私に、主人が「それは君がガミガミうるさいからだよ」と答えたので、カチーンときてケンカになったことがあります。
このとき私は、まず「まったくあいつもしょうがないなぁ」という『共感』が欲しかったのです。しかし主人はいきなり『論理』で解決法を語り出してしまったのですね。 「どうして私が責められなくちゃいけないの」という私と、「どうしてこの論理が理解できないんだ」という主人。“どうして”が全くズレていたのだと、今になってわかりました。
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枝 6 / 節 10 / ID 12151 作者コード:yuta
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