作文がむずかしくて、おもしろいところは、ほかの勉強とちがって、何かを暗記してそれを答えとして書くのではない、という点ですよね。
学校の授業やいろいろなニュース、そして本などで学んだこと。それだけでなく、自分で見たり聞いたりやったりしたことも、全部作文のたねになるのです。自分の中でみーんなまぜあわせて、そこから作り出さなければならなず、どこを見ても答えが書いてあるページはありません。自分の作った考えを表すので、たいへんだけれど、おもしろい、ということですね。
作文でたいせつなところが、この「自分の作った考えを表す」つまり、「どんどん外に出していく」というところです。
作文を始めたばかりのとき、しばしば保護者のみなさまから相談されることが、「作文がまとまっていないのですが、いいでしょうか」というご心配です。実際、以前保護者の方が書き直されて提出されていたこともあり、こういうご相談があれば、「全くそのままでいいのです!」としっかりお伝えするようにしています。最初に形にとらわれすぎると、自分の中の考えのたねをどんどん出せなくなってしまうからです。まずは、形から大きくはみだしても、自分の考えをどんどん書くほうがいいのです。そして、「あ、こんなこともどんどん書いていいんだ」と安心してくると、ますますいい考えや、自分で作ったいいことばが出てきます。いわば、最初の「まとまっていないように大人には見える作文」は、私から見れば、「宝物がいっぱいつまった宝箱」なのです。常識からはずれたところに、その生徒さんなりの個性があるのです。
そして、なれてくると、言葉の森の課題の中ができるようになり、知らず知らず、作文としてのまとまりが出てきます。その上、まとまっていながら、個性のある文が書けるようになるのです。生徒さんの作文にあった「せっかくの気持ちの強いお母さん」「残飯大国日本」「有名は大変のもと」という文など、実はその後も愛用させてもらっているものがたくさんあります。
このように自分の発言に安心できるようになると、どんどんと質問も出てきます。10分の指導時間では足りないので、答えは次の週にしたり、清書の週に聞いたりすることにしています。たとえば、「道草ってどうしてそういうようになったんだろう?」という質問がありました。ほかの講師の方にも聞いて、「昔田んぼに牛を連れていく途中、牛があぜ道の草を食べて、なかなか進まなかったことから。だから『道草をする』でなく『道草をくう』」のだというおもしろい答えがわかりました。これは長文に関係した質問でしたが、まったく長文と関係ない、ふと思いついた質問でもいいのです。おもしろかったのは、「学ランってなんでそう言うようになったのでしょう?」そう、あの応援団の人が着るような、つめえりの高いたけの長い学生服ですよね。これも調べてみると、なんとその語源は、幕末までさかのぼることがわかりました。そのころ、庶民も町で欧米人をよく見かけるようになりました。当時は欧米というと日本人が思い浮かべるのは「蘭学」ということばに代表されるように、「オランダ」のことでした。そこで、欧米人の着ている洋服を「オランダの服」略して「ランダ」というようになったのだそうです。当時から、日本人のことばの作りかたって、今と変わらないのがここからわかりますね。そして明治になって、大学などの高等教育を受けるようになった学生の若者が羽織はかまだけでなく、明治の洋式軍服を着て学校に通うのを見て、人々は「学生のランダ」略して「学ラン」というようになったのだそうです!当時の洋式軍服がつめえりだったのだそうなのです。なんの気なしの質問から、歴史や日本人の文化が見えてきたのでした。
答えのある質問だけでなく、「流行って誰が作るのですか?」といういっしょに考える質問もありました。たとえば、流行はものを売る側が作るかのように見えますが、同じように売ろうとしても、『ハリー・ポッター』はなぜ、世界中をまきこんだ人気作品になったのに、ほかの作品はなぜそれほどではないのでしょうか。これは明解な答えは出なくても、たいへんおもしろい問題だと思います。
そんなわけで、時間のあるときや、ないときも(笑)、どんな質問でもいいので、聞いてくださいね。実際は自分で調べられることでもいいのです。「いっしょに考える」というところがかんじんなのですから。
といっても、私は実は大学生くらいまで、とても人見知りなはずかしがりやで、口ベタでした。だから、電話口でもはずかしそうにしている生徒さんの気もちもとてもよくわかります。たくさんしゃべらなくても、まったく心配いらないので、みなさん安心してくださいね。それがなぜ、こんなにおしゃべりに?なったか・・・は、またいつか学級新聞に書いてみようと思います。
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枝 6 / 節 12 / ID 12419 作者コード:takeko
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