「人間はなんてちっぽけな存在なんだろう…。」 『マザーツリー母なる樹の物語』(C・Wニコル著)を読んで、つくづく感じたことです。樹齢500年のミズナラの木と、火山の噴火で山の天辺から転がり落ちてきた大きな岩は、山の自然の営みをただ静かに見守り続けています。
「太陽や風、雪、雨、土、石、生きもの。すべてが大きな輪の一部だ。わしらは宇宙の中を星と共にぐるぐる、ぐるぐると回る終わりのない旅をしている。」(本文より)
と、大岩は若いミズナラに語りかけます。
「互いに感謝をしないと、その大切な命の輪が切れてしまうのだよ。」(本文より)
しかし、人間はいつしか自然への感謝の気持ちを忘れて、自分の欲望のために争い、傷つけ合い、他の生きものの命だけでなく、お互いの命までも犠牲にしていきます。そんな人間を、「なんとおろかな生きものだろう」とミズナラはなげきます。しかし、母なる樹は全てを受け入れ、その年輪に刻み込んで、ただずっと事の成り行きを見守るだけです。自然の大きな流れの中で、一人の人間の命はほんのわずかな儚いものでしかありません。しかしその命は確実に、次の世代へとつながっていくのです。樹や岩や川や森、私達の回りにある大きな命は、人間がその短い一生をいかに生きるかを静かに見つめ、見守り続けています。途切れることのない命の輪がいつまでも続くことを願いながら…。
地球規模の環境問題を考えるとき、私達がそれらを自分の生活を脅かす身近な問題としてとらえるのは、なかなか難しいことだと思います。なぜなら、地球の生命に比べて、人間の命があまりにも短すぎるからです。とりあえず自分が生きている間は、環境はそう大きく変わるわけではないだろう…、という思いが誰の心にも少なからずあるのではないでしょうか? 確かに、現代の人間社会は、自然との直接的なかかわりを持つことが少なくなっています。また、核家族化で世代間の交流も希薄になっているといわれます。スピードや効率が重視され、あらゆる情報が飛び交う社会では、ともかく今自分の置かれている空間、時間を懸命に生きることが最優先され、前の世代を振り返ったり、次の世代のために考えて行動する余裕がないのは仕方のないことかもしれません。語り継がれるべき歴史や風土、生活の慣わしが伝えられなければ、自分がまわりの人々や大きな自然によって生かされているということは実感しづらいかもしれません。
最近、「スローライフ」ということばがよく聞かれるようになりました。町ぐるみでの取組みも進んでいるようです。一見、ライフスタイルの一つとしてとらえられがちですが、人間全てが本来そうあるべき生き方を意味しているのではないでしょうか。それは何も、田舎で暮らすということだけをさしているのではなく、ゆったりと地に足の着いた生活をすること、そして自分がこの世に生を受けたことの意味を考えて、命の尊さ、自然の偉大さを知るということだと思うのです。
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枝 6 / 節 15 / ID 12474 作者コード:naruko
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