言葉の森を小学6年生の受験のときから、合格して高校一年生まで受講してくれた生徒さんのお母様がこう言ってくださったことがあります。
「以前は、気がやさしいのですが自分に自信がないところがあったのですが、言葉の森で、是非の主題などの意見を書くうちに、教室でも自分の意見を発表できるようになり、今では生徒会の役員までやるようになりました」
とてもうれしかったです。
作文を書くということは、こうした面もあるのです。
高学年になり、作文を書くときは、一人の作業です。
一般化の主題や、複数の理由などを考えるときなど、考えこめばこむほど、実はそれは自分の考えを確かめて、自分の芯や「根っこ」を作っていることになるのです。
たとえば、学校でクラスメートといろいろと行動したり、会話したりしているときは、臨機応変、反射神経がとわれますね。特に日本では「空気を読む」ということが言われます。その分、思いやりやコミュニケーションの力が高まり、また新しい考え方や、他人からしかうけとれない喜びや悲しみもうけとるでしょう。
けれどまた、自分の中の「しん」や「根っこ」が弱かったりすると、他人からうけとるものが重すぎて、ささえてあげられなくなってしまうこともあるのです。
自分の「しん」や「根っこ」を強くするには、一人になって、孤独な作業の中で、問題に対して、今の自分でできるだけ、向かい合うことがひとつの方法なのです。問題の表面だけをなでてすますのではなく。昼間、友だちの間では、まじめな考えを言うことは、はずかしかったり、てれくさかったりしてできないかもしれません。でも、自分ひとりで紙の上にまじめな考えを書くことはできるのです。そして、まじめな考えが自分の「しん」や「根っこ」にあるという自信が、今度は昼間、友だちとの交流のとき、本当に力のある思いやりになったり、おもしろいことを言ったつもりがすべっても(笑)、平気になったりするのです。
さらに受験生のみなさんに特に言いたいのは、受験勉強も、受験本番、問題に立ち向かうときも、成功のカギは、この「孤独の中でつきつめる」ことができるかできないか、にかかってくるところがあるのです。一人で問題を見つめ、考えを深める強さをもてるかもてないかに。そして、一つの問題を真剣に考えているときの孤独は、実はほんとうの孤独ではないのです。そこには、人間の力というものとのつながりがあるからです。これがない孤独こそ、「むなしいだけの孤独」になってしまうのです。
みなさんが、一生けんめい、自分の考えを文にしようという努力を、ほんとに心から応援しています!
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枝 6 / 節 9 / ID 13032 作者コード:takeko
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