これは、小学生とは書いていますが、中学生にも高校生にも共通する勉強のコツです。特に、第二の話で書く「短期間でできるようにさせる」というのは、あらゆる勉強に共通します。
保護者のみなさんからいろいろ相談を受けることがあります。その中で、特に気がついた問題が二つあります。第一は、低学年のときの勉強のやらせすぎです。第二は、できるようにさせてから褒めるという勉強の仕方をしている人が少ないことです。
まず第一の勉強のやらせすぎから説明していきます。
低学年は、親や先生の言うことをよく聞きます。また、適応力があるので、やらせようと思えばどんなことでもやっていきます。そのため、親はつい必要以上に勉強をさせようとしてしまいます。また、うまくできないと注意してしまいます。
勉強をたくさんさせすぎると、子供の熱中力がなくなってきます。何をするときでも、ほどほどにやるという姿勢が生まれてくるのです。
小学校低学年のころに遊びに熱中した子は、いざというときに馬力がかかります。低学年のころは、苦しい勉強はしたくないのが普通です。自分の好きなことをして自由に遊んでいたい年齢です。この時期に親の言うことを聞いて、言われたとおりに勉強をしている子の中には、将来の熱中する力を犠牲にしている子も多いのです。
勉強をしていてうまくできないときに注意するのも、子供にとってはマイナスです。低学年のころのほとんどの注意は、そのときにしなくても、年齢が上がれば自然に直るものです。
例えば、作文の例で言うと、低学年のころによくまちがえる「わとはの区別、おとをの区別」です。本を読む量がまだ少なくて、言葉のほとんどを耳から聞いている時期に作文を書かせれば、「わ」と「は」の区別はできないのが当然です。だから、それを急いで直す必要はありません。直すよりも、本を読んで言葉を目から読む経験を増やしていくというのが最初にすることです。
注意をして直すことによるプラスよりも、注意することによって勉強は苦しいものだという意識を持たせてしまうマイナスの方が大きいのです。
では、どういう勉強をさせたらいいのでしょうか。
低学年のころの勉強は、習慣をつけるということが目的です。決まった時間に決まったことをするのが大事です。しかし、それで成績を上げることを目指すのではありません。
百ます計算や漢字の書き取りも、勉強をすること自体は何も問題がありません。毎日の習慣となるような形で勉強すればいいのです。しかし、それを他人と競争したり比較したりして、もっと完璧にできるようにさせようとすると、やらせすぎのマイナスが出てくるのです。
また、家庭学習の習慣とするための勉強は、問題集を解くようなものよりも、本を読むようなものの方がずっと効果があります。問題集を解くという勉強スタイルは、一見勉強をしているような感じがしますが、結局できることをくりかえす作業にすぎません。問題を解くという勉強に意味があるのは、できない問題をできるようにさせるという過程があるときだけです。
次に、第二の「できるようにさせてから褒める」という勉強の仕方の説明をです。
勉強でもスポーツでも、できないことをできるようにさせて初めて意味があります。できるようにさせて、そして褒める、というのが理想の勉強の姿です。ところが、できないという状態を続けたまま、注意をしたり褒めたりという事後の工夫に力を入れている人が多いのです。
「できる」というのは、勉強のいちばんの核心です。「注意する」「褒める」というのは、その外側の付け足しの部分です。
問題集を解くような勉強では、できるできないがはっきりしないことが多いので、この問題はそれほど表面に出てきません。だから、問題を解くような作業的な勉強は、あまり意味がないのだとも言えます。
暗唱の勉強は、できるできないがはっきりしています。暗唱の勉強で、「できない」という状態を続けたまま、あとから褒めたり注意したりしてもそれらはすべて空回りになります。「できる」ようにさせてから、初めて褒めることも注意することも生きてきます。
そのためには、一時期、無理矢理にではあっても、できる水準まで到達させてしまうことが大事です。そのときのコツは、できるだけ短期間に形だけでもできるようにさせて子供に自信を持たせることです。
暗唱の場合は、80%や90%できる状態で満足するのではなく、100%できるところまでやらせて、そのあとにたっぷり褒めていくことです。時間で言えば、10分かかることがせいぜい15分か20分に延長するぐらいですから、無理にやらせるとはいっても大したことではありません。それよりも、100%できるようにさせることで子供が自信を持つということが大きいのです。
中学生や高校生の勉強でも同じです。苦手な教科があった場合、その勉強を毎日少しずつ取り組んでもできるようにはなりません。夏休みなどに朝から晩まで何週間も集中して取り組み、何が何でも得意にしてしまうところまで持っていくということが大事です。
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枝 6 / 節 11 / ID 14672 作者コード:
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