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言葉の森新聞2011年4月4週号 通算第1173号 枝 0 / 節 1 / ID 印刷設定:左余白12 右余白8 上下余白8
  ■1.小4の4月の暗唱長文にミス
  ■2.連休中の予定
  ■3.わかりやすい自習で、楽しく勉強し、実力をつける「学年別自習プラン」を作成中
  ■4.4.4週は読解問題と清書。幼稚園生は普通の作文
   ●1.読解問題の仕方
   ●2.手書き清書の送り方
   ●3.投稿の仕方
   ●4.パソコン入力清書の送り方
   ●5.清書の仕方のまとめ
  ■5.作文を中心とした知的な創造社会 (日本の新しい産業 その8)
 
言葉の森新聞 2011年4月4週号 通算第1173号

https://www.mori7.com/mori/

森新聞
枝 1 / 節 2 / ID
1.小4の4月の暗唱長文にミス 枝 4 / 節 3 / ID 16071
 小4の暗唱長文4月分【5】にミスがありました。訂正してくださるようお願いします。
△トカゲ落ちてくる→トカゲが落ちてくる
枝 6 / 節 4 / ID 16072
作者コード:
2.連休中の予定 枝 4 / 節 5 / ID 16086
 教室の休みは、課題フォルダに書いてあるとおりです。
 4月29日(金)・30日(土)は5週目のため休みです。
 5月2日(月)はあります。
 5月3日(火)4日(水)5日(木)は、休み宿題です。先生からの電話はありません。
 5月1週の言葉の森新聞と山のたよりは、4月末に発送する予定です。

※課題フォルダのカレンダーで、5月3・4・5・6日の予定が違っていました。上のカレンダーが正しいものです。
 (正)5月3日(休み宿題)4日(休み宿題)5日(休み宿題)6日(授業あり)
↑(誤)5月3日(授業あり)4日(休み宿題)5日(休み宿題)6日(休み宿題)
枝 6 / 節 6 / ID 16088
作者コード:
3.わかりやすい自習で、楽しく勉強し、実力をつける「学年別自習プラン」を作成中
枝 4 / 節 7 / ID 16087
 自習の仕方がわかりにくい、又は、続けにくいという方も多いと思います。
 自習は、学年によっても、やり方によっても、大きな差が出ます。
 例えば、次のような例です。
○小学校低学年のころは暗唱がよくできるが、高学年になると急にできなくなる。
○問題集読書は力がつくが、小学5、6年生のころはなかなかできない。
○よい本を読ませようとするが、なかなかはかどらない。
 いずれもちょっとしたコツがあればうまく行くものですが、そのコツというところが伝わりにくいようです。
 そこで、学年別の自習のプランを作ることにしました。そして、実際にどんなふうに自習をするのかがわかるようにホームページで動画にして見られるようにしたいと思っています。
 自習はうまく生かせば、簡単で楽しくできて実力がつくという優れた道具になりますが、うまく生かせないと、苦痛でなかなかできず親子げんかの種になるという面もあります。
 後日、「学年別自習プラン」をお送りしますので、お待ちください。海外の方には、言葉の森新聞号外としてウェブで見られるようにする予定です。
枝 6 / 節 8 / ID 16089
作者コード:
 
枝 61 / 節 9 / ID 16092
4.4.4週は読解問題と清書。幼稚園生は普通の作文 枝 4 / 節 10 / ID 16073
 第4週は、読解問題と清書です。
 幼稚園年中と年長の生徒は、第4週も普通の作文を書く練習です。自由な題名で作文を書いてください。項目シールは、予備のものを使ってください。
 小学1年生以上の生徒は、第4週に読解問題と清書を行います。
 読解問題の時間がかかるため清書の時間が取れない場合は、読解問題又は清書のどちらか一方を省略してもかまいません。
枝 6 / 節 11 / ID 16074
作者コード:
1.読解問題の仕方 枝 5 / 節 12 / ID 16075
 読解問題は課題フォルダに入っていますが、4週の「山のたより」の末尾にも載っています。この読解問題は、課題フォルダにはさんである読解マラソン集から出しています。
 読解問題の答えを作文用紙に書く場合は、問題の番号と答えがわかるように書いてください。書き方は自由です。(下図参照)
 読解問題の用紙は返却しませんが、選んだ番号と正解は山のたよりに表示されます。
 低学年の生徒で、問題を全部解くと時間がかかりすぎると思われる場合は、最初の方の問題だけを解いて提出してくださっても結構です。
 読解問題をインターネットから送信することもできます。
 読解マラソンの問題のページから答えを送信すると、その場で採点結果が表示されます。この採点結果は自動的に山のたよりに表示されます。
http://www.mori7.com/marason/ki.php
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枝 6 / 節 13 / ID 16076
作者コード:
2.手書き清書の送り方 枝 5 / 節 14 / ID 16077
 手書きの清書は、担当の先生に送ってください。先生に送った清書は、返却しません。「清書の谷」でコードとパスワードを入れると見ることができます。
「清書の谷」 http://www.mori7.com/seisyo/
 清書はバーコードを読み込んで整理しますので、その月の住所シールを清書の1枚目だけに正しく貼ってください。貼ったあと、はがして再度貼りなおすとバーコードが読み取れなくなることがあります。
 「清書の谷」で、前月の清書が正しく表示されていない場合は、バーコードがうまく読み取れていなかった可能性がありますのでお問い合わせください。
枝 6 / 節 15 / ID 16078
作者コード:
3.投稿の仕方 枝 5 / 節 16 / ID 16079
 手書きの清書の原本を、新聞社に投稿したり、コンクールに応募したりする場合は、清書のコピーの方を先生に送ってください。
 新聞社に投稿する際は、作文用紙の欄外又は別紙に次の事項を記載してください。
(1)本名とふりがな(2)学年(3)自宅の住所(4)自宅の電話番号(5)学校名とふりがな(6)学校所在地(町村名までで可)など。
 投稿する際は、ペンネームを本名に訂正しておいてください。作文の中に友達の名前が固有名詞で入っている場合は、イニシアルなどに直しておいてください。投稿する作文の内容は、保護者がチェックしてあげてください。
 同じものを複数の新聞社やコンクールに送らないようにしてください。これは二重投稿といって、もし両方に掲載されてしまった場合、掲載先に迷惑をかけることになります。
枝 6 / 節 17 / ID 16080
作者コード:
●朝日小学生新聞の住所  104−8433 東京都中央区築地3−5−4 朝日小学生新聞 「ぼくとわたしの作品」係 御中
★二重投稿はしないようにしてください。 ★友達の固有名詞などが入っていないか保護者がチェックしてあげてください。
枝 7 / 節 18 / ID 16081
4.パソコン入力清書の送り方 枝 5 / 節 19 / ID 16082
 4週の清書は、パソコンで入力したものを送ることができます。しかし、これは必ずしも全員がする必要はありません。生徒が自分で入力できない場合は、お父さんやお母さんが代わりに入力しても結構です。このパソコン入力の清書から、その月の森リン大賞が選ばれます。
 感想文を清書にする人は、三文抜き書きや要約の部分は省略するか、自分の言葉に直して説明を書くようにしてください。
 また、ワードは改行の際のスペースが正しく表示されないので、いったんメモ帳などにコピーしてメモ帳の上でスペースをつけてからインターネットで送るようにしてください。
 パソコン入力清書をインターネットから送信する仕方は、「学習の手引」をごらんください。
http://www.mori7.com/mori/gate.php
 送り方の簡単な手順は次のとおりです。
1、パソコンで作文を書きます。
2、書いた作文の文字画面をコピーします。
3、言葉の森のホームページの「作文の丘」に行き、生徒コードとパスワードを入れます。
4、本文のところにコピーしたテキストを貼りつけます。
5、読解問題の答えを送る場合は、問題と書いてあるところで答えを選択してください。
  清書を送る場合、週は必ず「4週」を選択してください。ほかの月や週を選択すると、その月と週の作文と講評が上書きされてしまいます。
枝 6 / 節 20 / ID 16083
作者コード:
5.清書の仕方のまとめ 枝 5 / 節 21 / ID 16084
 清書の仕方をまとめると、次のようになります。いずれを選択しても結構です。
1、手書きでも書き、パソコンでも入力する
2、手書きだけで書き、パソコンでは入力しない
3、手書きでは書かず、パソコンでだけ入力する
4、(読解問題に時間がかかった場合)手書きでも書かず、パソコンでも入力しない
パソコン清書の森リン大賞の作品は、下記のページに掲載されています。
http://www.mori7.com/oka/moririn_seisyo.php
枝 6 / 節 22 / ID 16090
作者コード:
5.作文を中心とした知的な創造社会
(日本の新しい産業 その8)
枝 4 / 節 23 / ID 16085
 創造の喜びがある作文とは、発表する喜びのある作文です。すると、その作文の新たな定義に対応して、作文の形態も従来のものとは異なった面を持つようになってきます。これまでの作文は、原稿用紙にきれいに清書するだけでした。しかし、これからの作文はそこにさまざまな表現手段を組み合わせ、総合的な知的芸術作品として作られるようになってきます。
 例えば、作品の長さは、朗読して2、3分で読める800字から1200字程度になるでしょう。youtubeの動画を想像してもらうとわかりやすいと思いますが、背景に画像が流れます。それはその作文の内容にふさわしい写真やアニメです。そして、やはりその作文の内容にふさわしいバックグラウンドミュージックが流れます。
 小学校低学年までの子供は、作文の中身だけその子供が書き、画像や音楽は両親が協力して作ってあげるという形になることが多いと思います。しかし、発表の動機は創造の喜びですから、小学校中学年からは、子供たちが自分で作文も画像も音楽も選ぶようになるでしょう。そして、中学生や高校生の作文になると、作文の内容自体に価値があるものも作られてきます。
 作文の価値というと、一般には、「飼っていたジュウシマツのピーちゃんが逃げちゃった」というような心情的、文学的なものを連想する人が多いと思います。しかし、中学生や高校生になると、説明文や意見文で社会的に価値のある創造も行えるようになってきます。なぜかというと、ここにやはり作文を書く人間の身体性というものがかかわってくるからです。
 環境問題や資源エネルギー問題のように広範な知識を必要とする分野については、その分野にそれなりに通暁(つうぎょう)した人が提案したものでなければ社会的な価値を持つことは難しいでしょう。しかし、人間は、たとえ小中学生であっても、その個人だけがよく知っているある狭い分野については、誰にも負けない知識をを身体化しています。例えば、小学生の子供にとって、自分の家と家族と、学校への行き帰りの道と、親しい友達と、遊び場の地理と歴史は、誰よりも深く熟知しているはずです。すると、そこに、誰にも負けない知識の量をもとに、その子だけが提案できる世界を創造する条件ができるのです。
 このようにして、内容的にも表現的にも高く評価できる作文が生まれれば、それらの作文をもとに毎年、あるいは毎月大規模な作文発表会や作文コンクールが各地で開催されるようになります。
 私の描く具体的なイメージは次のようなものです。
 例えば、港南台では、毎月10日に小学校○年生の作文発表会が南公園で開かれます。特に、4月の発表会は、年間コンクールと重なるので、盛大に行われます。その日は朝から、多くの人が南公園にゴザを広げ、ちょうど桜の花見も兼ねながら思い思いのグループで小宴会を始めます。やがて、コンクールが始まります。「お、次は○○さんちの健ちゃんだ」などという声で見てみると、ステージにyoutubeのような画面が大写しになり、音楽が公園に広がります。健ちゃんは、この日に備えてもうすっかり自分の作文を暗唱しているので、余裕の表情で出てきます。そして、自分の作文を朗読しながら、観客に手を振るようなパフォーマンスも見せてみんなを笑いに誘います。
 朗読の最中、健ちゃんの家族のシートに、近所の人が遊びに来ます。「いやあ、このサンドイッチおいしいですねえ」とか「ところで、健ちゃんもおもしろい作文を書きますねえ」などと言いながら、みんなで談笑します。やがて、子供たちの発表が終わると、発表した全作品にそれぞれの内容に合わせたユニークな賞が授与されます。このユニークな賞の作り方は、そのときの審査員の腕の見せどころです。このようにして、地域ぐるみ家族ぐるみで、子供たちが小さいときから、知的に創造する喜びを共有する社会が生まれていくのです。
 この作文コンクールは、国又は地方自治体が全面的にバックアップしているので、すべての作品に信じられないほど豪華な賞品と賞金が出ます。しかし、この豪華な賞品と賞金は、文化の山頂に注ぐ呼び水にすぎません。この呼び水によって、文化の山腹と裾野に豊かな緑が生い茂り、作文の発表に伴うさまざまな産業が生まれています。その産業の中にはもちろん作文教室も含まれますが、映像も、音楽も、また知識を吸収するための読書も、また、良書を紹介するサービスなどもあります。このように作文の発表会を通して多くの文化産業が成り立っているので、結局は呼び水以上の大きな経済効果が生まれ、そこから生まれる利益によって、国や地方自治体もますます豊かになっていきます。
 未来の社会では、作文の学習を知的な創造産業の中核として、その周辺に多くの知的、身体的な創造産業が生まれ、それらの創造産業を支える向上産業も更に発展していきます。このような社会では、子供も大人も老人も、することがなくて退屈だからテレビでも見るか、というような時間の過ごし方をしません。テレビは、見るものではなく、自分の作品を表現するひとつの手段になっているからです。
 このように、知的で、芸術的で、豊かで、創造的で、向上心に溢れた、明るい笑いと共感に満ちた社会を日本に誕生させるのが、この混迷の時代を生きる私たちの役割です。そして、それは、日本人がただそう決心しさえすれば、明日からでもすぐに可能なことなのです。(おわり)

枝 6 / 節 24 / ID 16091
作者コード:
枝 9 / 節 25 / ID 16091
 
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