暗唱をしていると、発想が豊かになってきます。
それは、暗唱によってワーキングメモリーの能力が向上するからではないかと考えられます。
ワーキングメモリーとは、単に覚えているだけの記憶とは異なり、その情報を保持しながら何らかの操作に用いるという記憶で、作業記憶とも呼ばれています。
学業の成績に関係が深いのは、普通の記憶力ではなく、この作業記憶の方の記憶力のようです。
話はちょっと変わりますが、KJ法という発想法があります。思いついたことメモしたカードを広げて眺めているうちに、それらのカードから新しいアイデアがわいてくるというものです。(くわしくは「発想法―創造性開発のために」(川喜田 二郎)を参考に)
この場合、カードが、ワーキングメモリーの補助をする形で、ワーキングメモリーの容量を増やしているのだと考えられます。
一方、暗唱をしていると、ワーキングメモリーを入れる容器自体のサイズが大きくなるという感じがします。
比喩的に言うと、ひしゃくで運んでいた水を、バケツで運ぶというところでしょうか。
だから、暗唱で大事なのは、暗唱する素材ではありません。
世間でよく行われている暗唱は、文化的な暗唱で、暗唱する材料自体に文化的な価値があるものが選ばれています。
もちろん、それはそれでいいのですが、材料を覚えることに意味があるのではなく、暗唱するという過程にもっと大きな意味があるのです。
しかし、そういう価値ある勉強法でありながら、続けられる子はあまり多くありません。
それは、形の残らない勉強だからです。
文章を書き写すとか、長文を要約するという勉強法なら、形が残るので続けやすいのですが、空中に消えていくような音読や暗唱の勉強は、簡単に見えるにもかかわらず継続しにくいのです。
しかし、視写とか要約という勉強よりももっと効果があるのが、音読や対話の勉強です。
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枝 6 / 節 15 / ID 18938 作者コード:
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