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AI森リン「森リー」
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AI森リン「森リー」
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大人の目から見ると、それは迂路であり道草にすぎないのだが、何とか「近道」を見つけて、どこかの家の裏庭に入り込んだり、時には畠を踏みつけたと怒られて逃げまわったり、まったくスリル満点のおもしろさであった。このような生き方の道として、目的地にいち早く着くことのみを考えている人は、その道の味など知ることがないのである。ところが、この「道草」を読んでいると、そのような現実をじっと眺めている、高い高い視点からの「目」の存在が感じられてくるのである。それは、まったくたじろがらずに、すべてのことを見ようとしている。もっと道草をするべきだ。 その理由のひとつは、道草をしている間に、いろいろなことが学べるからだ。僕も道草をして学んだことがある。学んだというか発見したのだが、いつもと他の道を通って行ったら同じ学年のカップルがいてビックリした。ノーベル賞の田中さんもまちがいから発見にたどり着いたそうだ。 その理由ふたつ目は、つまずいて道草をくうことで、自分を見つめなおすことが出来るからだ。僕たちは大人になるにつれていろいろな関門を突破しなければならない。それにはいろいろな失敗=道草もしなければならない。だから失敗を経験した人のほうがいろいろなことが出来るし、やさしい。 確かに、目的に向かって計画を立て着実に歩を進めていくことも大切である。しかし、「未来には、ひとりにできる未来と、自分で作る未来との二つがある。」という名言があるように、さまざまな道で鍛え、たえず自分を見つめなおしながら未来を切り拓くために、道草をもっとするべきである。
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