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AI森リン「森リー」
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AI森リン「森リー」
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人間関係とは結局の所二人の人間の間での問題であるというよりは、むしろ、一人の人間の内部での「こちら側の自分」と「もう一人の自分」との問題であった。この二つが互いに刺激を与えながら新しい自分をつくっていく過程が人間関係のまさしく人間関係たるゆえんであった。人間関係が大切なのは相手と仲良くするためではなく、自分の可能性を跳躍させるためである。 私は互いを向上させるような人間関係が少なくなってきていることが問題だと思う。その理由として第一に、安定を求め過ぎているからだ。以前、よくテレビに出ていた池上彰という人がいる。彼がでていた番組では、彼の言うこと全てに芸能人が頷きまたそれを見ている視聴者も彼の意見に賛成していただろう。確かに彼の言うことはわかりやすく簡潔である。しかし、それを何の疑問も持たずに受け入れてしまう私達はこれで良いのだろうか。これは人間関係でも言える事だ。クラスで学校行事に何をするか決めるとき、たいてい強いリーダーシップを持つ人の意見に決まると思う。これは、他人といざこざを起こしたくないという思いや、自分の意見を出してしまうと自分に責任がくることを恐れているから自分の意見を出さずに簡単に決まるのだ。人間関係を深めるべきはずの学校行事で意見の出し合いが起こらないのは、寂しい気持ちもするなと私は思う。安定を求め過ぎて互いが向上できなくなるのは、面白く無いと思った。 第二に、与えられた事をこなす事になれてしまったからだと考える。たとえば、英語の宿題で「何ページ〜何ページまでをノートに写してきなさい。」という宿題が出たとする。出来る人は、何も言わず次の日には宿題をこなしてやってくる。しかしここで先生と生徒との人間関係はできているのだろうか。何故ここでノートに写さなければならないのか。ノートに写すことによってどのような効果が得られるのか。与えられたことをこなしているだけでは、生徒にとってプラスになることは少ないように思う。また教師にとっても生徒にちゃんと力がついているかを確認することができないだろう。人間関係とはお互いを向上させるためにある。与えられた事をただ坦々とこなす世の中ではこのような人間関係は生まれてこない。人間関係とは話がそれるが、お茶は栄養が吸収できなくなって初めて花が咲くのだそうだ。だから私達の飲んでいるお茶は絶えず栄養を与えられ続けたお茶なのである。他人からものを与えられ続けると花を咲かせられないのは、現代の与えられたことをこなす社会を皮肉っているようにも思った。 確かに、互いを向上させるような人間関係とはしんどいものが多い。私も部活で先輩と揉めたりする。しかし、他人と揉めたり意見を交換(時にはぶつけ合う)している時に、一番相手のことも自分の事も考えているのではないだろうか。この人間関係が無くなってしまうと、相手のことも自分のことも考えることができなくなってしまうだろう。だから私は、互いを向上させるような人間関係が少なくなってきている事が問題だと思った。
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