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AI森リン「森リー」
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AI森リン「森リー」
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私はこのような体験がある。私が小学3年生のとき、母に「リアス式海岸」と、習った。それから私は、「リアス海岸」を「リアス式海岸」だと思っていた。ところが、小4になって、「『リアス式海岸』とは言わない。『リアス海岸』という。」と、言われた時、すごくビックリした。「そんなバカな・・・・。」と思った。塾が終わって、母に伝えた。思った通り、ビックリしていた。私は、このような経験は、しょっちゅうあり、このような体験があるということを、分かっておかなくてはいけないと思った。 母も似たような体験があるそうだ。母が中学生の頃、アルファベットは、『筆記体』というものだったそうだ。『筆記体』というものは、まるで蛇の絵を描いているかのように、たくさんのアルファベットを小文字でつなげて書く文字のことだ。しかし私たちは、『筆記体』という文字ではなく、『ブロック体』だそうだ。またこの文字は、中学に入っても『筆記体』は使わないそうだ。そのため、母は『ブロック体』という文字が書けないそうだ。私は、『筆記体』という文字があまり書けない。なぜなら、学校で習っていないからである。 母の時代は、『リアス海岸』に『式』を入れたり、アルファベットが、『筆記体』だったりと、今とは違うということが分かった。もしかしたら、私の時代と母の時代で一番違うのは、教育方針なのかもしれない。教育方針が違ったら、勉強していることも違うかもしれないと思ったからである。しかし、もしそうならば、私たちの時代の人と、母の時代の人と、母の時代より前に生きていた人と、これからの時代に生きようとしている人たちのやっていることが、今より違ってしまうことがあるということが分かった。また、違うことだけでなく、同じ事も出てくる事があり得ると思う。 このように、私たちの時代と、母の時代は、違うことも、同じこともあるということが分かった。やはり、こだわらない心で科学を論じることは、いいことだと思った。
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