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AI森リン「森リー」
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★4月18日から新しい森リン点になっています。
AI森リン「森リー」
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新聞は、行間と余白を読むという方法もある。そういう意味で新聞を、月一度とか二度でなく毎日立つ縁日のようなものであると見ているふしがある。新聞の中に偶然が潜んでいる空間を探すとすれば、それはやはり、あちこちに散らばっている情報である。私は、行間や余白といったものに対してもっと目をむけるべきだと思う。 その理由は第一に、行間や余白があった方が楽しいからだ。私は、学校で毎回楽しみな授業がある。それは、国語の授業だ。私の国語の先生は、普段の授業の雑談が特別面白いというわけではない。しかし、授業の内容を私たち生徒に伝えるのがとても上手だ。そして、授業の進度もはやい。授業を早く進めて、余った時間では私たちが毎回楽しみにしている映像を見せてくれるのだ。ドラマや、アニメや、大河ドラマなどもある。人物対比の理解を進めるために、「ハケンの品格」という映画をみたり、昔の朝廷がどういうものだったのかなどを理解するために、今流行りの「薬屋の独り言」をみたりもした。やはり何の空白も楽しみもなく授業をしているだけではつまらないものなのだ。他にも今まででわかりやすく、面白い授業をしてくれた先生はいる。それは、私が中学受験の時の理科の先生だ。私は、その先生のお陰で得意になった理科の範囲がいくつもある。たとえば、人体、天体、メダカなどについてだ。私が特に記憶に残っているのは、天体の中でもオリオン座の覚え方だ。先生自身、子どものころから自分で語呂合わせを考えて覚えていたらしい。私はその先生の語呂合わせがとても覚えやすかった。私は、その先生に深く感謝している。そして、語呂合わせのようにして楽しく覚えるのもたまには必要だなと感じた。 その理由は第二に、行間や余白というものがなかったら疲れてしまうからだ。母はデジタルの仕事をしている。消費者に伝えるためのメッセージを考えるとき、伝えたい情報をできる限り削ぎ落として十分な余白を作って相手に伝わるように意識しているそうだ。母は心の「余白」について、予定や考え方を詰め込みすぎず、常にゆとりを持っておかなくてはならないと考えているそうだ。確かに、伝えたいことがたくさんあってメッセージをあまりにもたくさん詰め込みすぎると、消費者側からしても何を受け取れば良いのか、いったい何を伝えようとしてきているのかもよくわからないなと心の中で思った。また、行間や余白がないと疲れてしまうというのは、私の実例もある。私は、この間学校で「スピーチコンテスト」というものがあった。これは、学校で年に一度行われる、代表者が自分が考えたテーマに関しての文を考え、それを全校生徒の前でスピーチするという内容だ。幸運なことに、私は今回選んでもらうことができた。私は、何度も何度もスピーチの練習をした。すると、だんだんと最初に読んでいた速度の何倍ものスピードになってしまうのだ。何ヶ所かに区切りを入れて読むことで、それを防ぐことができるようになるのだ。聞いている側からしても行間や余白がないスピーチというのは聞き取りにくくて仕方がないだろう。 このように、行間や余白というものは授業などの楽しみにもなる。また、行間や余白がなければ疲れてしまう。私のスピーチの話でもそうだったように、間がないスピーチというのはまるでお経のようだろう。確かに、スラスラと流暢に読むことはカッコよく見えるかもしれない。しかし、間のある読み方も丁寧に読めば幼稚には聞こえないはずだ。また、語呂合わせのように楽しく勉強をするのも大切だと思う。やはり私は、行間や余白といったものに対してもっと目を向けるべきなのではないかと思う。
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