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AI森リン「森リー」
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AI森リン「森リー」
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物語は、現在を通して過去と未来を媒介する。すなわち、さまざまな「筋」の可能性を秘めた物語のなかで、過去と現在が未来を規定し、また、未来と現在が過去を規定するのである。そもそも、ひとが自らについて語る物語にとって重要なことは、「独自性」というよりも、むしろ「真実性」ではないかと思われるからである。 人が行動をする時には物語が必要だ。しかし、自分にとって本当の物語ではなく、自分以外のものであったら問題だ。 第一の原因は、社会の提供する物語が数値などの科学的な装いを持っているために、人が自由に自分の物語を作れなくなったからではないか。 最近、数値で表すことが多い。数値で表すことはみなにわかりやすくて良いことではある。しかし、自分の立ち位置を数値で表されることで現実を知ることになってしまう。 私は小さい時、大きな夢を持っていた。その夢を色々な人に言うこともできていた。しかし、中学、高校になると、自分の学力を数値で表され、比べられざるおえない状況かになり、夢が小さくなってしまった。人はみな異なるので数値で表すのは違うと思う。せっかく夢を持っていたのに状況で諦めてしまうことになるのは勿体無いことだと思う。 第二の原因は、社会が複雑になり、人間が社会の全体像を見て自分の位置づけを考えるということがしにくくなったためである。そのために、自分の関わりのある狭い範囲で、生きる人が増えてきたのではないか。社会全体を見ると色々な人がいるのに、同じような人や自分と似ている人を好んで関わっている人が多い。自分と似ていると話しやすいし、関わりやすい。しかし、自分と同じ価値観や考え方のみでしか考えられなくなってしまう。島に住む動物は、ゾウは小さくなりネズミは大きくなると言われている。ゾウやネズミが、大陸という広い世界では、よりゾウやネズミらしく生きなければならない。自分と似ている人とだけの狭いテリトリーではなく、社会にはもっとたくさんの色んな人がいるので、自分と異なる人と関わることが大事である。その方が、色々な価値観や考え方を知ることができ、自分の考えもはっきりすると思う。 確かに、自分の作った物語がいくら自分にとっては事実らしく見えても、社会のためとはいえないものでは困る。しかし、私たちはもっと自分らしい物語を見つけるべきではないか。
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