ログイン
ログアウト
登録
AI森リン「森リー」
送信中です。しばらくお待ちください...
AI森リン「森リー」
題名:
名前:
現代社会、幸福を感じるための方法はいくらでもある。ゲーム音楽、アニメに食事、そして文学など、挙げればきりがないだろうしかし、手段の多様化が進んでも、いまだ社会全体が幸せを享受してるかと言われればそうではない。少なくともそう思う。安い値段でおいしいものが買える今の世の中。何が現代人の幸福を邪魔するのだろうか。それは不幸、この場合努力や忍耐の少なさだと思う。幸福と不幸は表裏一体である。どちらか一方となっては、人生をよくすることは出来ないだろう。我々は、努力や忍耐を行う。または質を高めることが必要ではないか。 そのための方法としては第一に、苦労の質を高めることだ。現代社会では幸福になる方法も多様だし、苦悩することも多い。だが、正しい苦悩でないとよりよい幸福はないだろう。例えば仕事や学業、おそらく現代社会で最もおおい苦悩だろう。努力して忍耐するのはこの手の物が一番多いと思うが、一概に質のいい苦悩とは言えない。理由は、幸福を得るべき時間を完全に得ることが難しい場合があるからだ。ここでの苦悩で大事なのは、がんばった後での幸福感を得ることだ。達成感、自分へのご褒美そして休息が必要だ。しかしこれらは次のことをすぐ出されたり、幸福感を得る間もなく次回のことを考え気が滅入る可能性がある質の悪い苦悩だ。だからと言ってこれらをやらないという選択はかなり考えづらいだろう。ではどうするべきなのか。それは自らの意思で苦悩を作ることだ。筋トレをする。パズルを解く。資格の勉強をするなどだ。自分から行う苦行は、大変な面もあるし、達成感も得られる。そして終わりを自分で決められるのだ。休息も得られるのでご褒美も自分に渡す。そうすることでより健全な幸福を得られるのではないか。大切なのは質の良い苦労であり、量が多い、気の休まらない苦労ではない。 そのため第二の方法として、自分にとって小さな幸せを見つけることだ。人間社会はもともと、明日食べるものがあるかすらわからないような環境だった。そんな中でも人間は、やがて秩序社会性を身に着け、いまでは暮らしは豊かになった。しかし、幸せにはなったのだろうか。産業革命とげ、大量生産大量消費し、人間は幸せなったか。おそらくだが、人間は今幸せすぎるのだろう。昔より苦労が少なくなった。その影響でより一層幸せを追い求めるようになった。しかし、先にも述べたように幸せと不幸は表裏一体。どちらかだけで生きることはできない。とすれば、苦難と幸せを両方感じるべきだ。だとすれば、幸せの程度を今から下げる努力も必要だろう。といっても、苦労を感じるのは先に述べた通り。幸せを下げるのは何か。それは、幸せというのもの範囲を広げることだ。ゲームやお菓子などの幸せもあっていいが、風に当たる気持ちよさ、たまに料理を作るうれしさ、何気ない道の花。そういう小さい豊かな、心の幸せを見つける能力を身に着けることも必要だろう。苦行と幸せの丁度いいバランスが、総合的に幸せを作れるだろう。 確かに現代社会でのシステムでは、労働と消費によって幸せを得る故、質のいい苦行というのもなかなか生み出しにくい。時間がないのだ。それなら短時間でゲームやSNSなどの娯楽を行うことも仕方ないし、実際、それらの物で得る幸福もなかなかに良いものだ。しかし、何度も言ったが、幸せというのは不幸がないと成立しない。幸せと不幸は表裏一体。どちらか片方では生きていけない。とすれば、質の良い苦行、そして小さい豊かな心への幸福を見つけることが、総合的幸せへの道だと思う。人間、自分が満たされないと、他人を満たせないといったものだ。幸せに限らずまずは自分を休息させ、課題を出し、考えることが、物事をよりよくさせる方法だろうと、私は少なくともそう思う
山
年
月
週
生徒コード:
パスワード:
講師コード:
パスワード: