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AI森リン「森リー」
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AI森リン「森リー」
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文化もパーソナリティも多くの場合少しずつ変化し、そして時には大きく急速に変化しうるものである。文化のコードは長年の間に一人一人の人間の安全と満足を求める欲望が集まって、暗黙の合意のうちに作られてきたと考えられがちである。文化のコードという無名の支配者は朝から晩まで私たち一人ひとりの全存在を直接、間接に支配し続けているようだ。ほかならぬこの私自身がほしていると思うこともそれは幻想であるにすぎない。「○○大学に入学しますように!」「スリムな美人になりますように!」等尽きることのないこの世俗の欲望は常識となった文化のコードとして「より大きな交換価値」を無意識のうちに私的コードの取り込みそれに身を任せることによって生じているという側面が強いようだ。人気のある学校や学部、美人のタイプなどが時代とともに移り変わるのはその証である。これらの欲望から解放されればどんなに心が休まるだろうかと思うことにもなる。そんな時、私たちは人の手の加わらない自然の中に逃れて少しでも身を守ろうとするのかもしれない。しかし、逃げ切ったように思えても流行の登山装備や水着、様々な人との出会いがまた文化のコードにしっかりとからめとられていることになる。文化的なものを完全に拒んでしまうことは完全に不可能であるといってよいだろう。 自分自身の価値に従って生きることは大切である。塾でみんなとお互いを高めあうことはすごく楽しかったし、頑張れば頑張るほど努力が報われていくのを見るのもとてもうれしかった。私の友達もほとんどが塾に通っており、みな夜遅くまで勉強に励んでいた。しかし、あともう少しで中学生というとき私の心の中に一つの疑問が浮かんだ。「中学校の課題と両立できるだろうか」と。塾の宿題は小学生の場合、学校での宿題がそもそも少ないためあまり負担にならなかったが、中学校では勉強がさらに難しくなったり、レポートなどの提出物も増えると聞いていた私は唐突に不安になった。そこで考えたのが塾をやめ自分で中学校の勉強を進めることだったが、友達のほとんどが塾に通っており、コミュニケーションをとる大事な場所ともなっていた。そんな中自分だけやめると話についていけないのではないか、友達と生活リズムが狂い遊べなくなってしまうのではないかなどの思いがあった。この気持ちを親に相談したところ、「周りに流されないで自分がよいと思うものを選んだ方がいいんじゃない?」と言われ私は塾をやめる決断ができた。やめてから不安だった話についていけなくなるのでは、遊べなくなるのではという不安はすぐに消えた。また、塾に行っているときは夜遅くに帰ってきて夜ご飯や風呂などを済ませるため寝るのが遅くなってしまっていたが睡眠時間をしっかりとることができ毎日をさらに楽しむことができるようになった。あの時、私が私自身の決断を尊重したおかげで私は日々をさらに精力的に過ごすことができるようになった。もちろん、塾に通った方が勉強できるという人もいると思うしそれは個人の価値観、考え方でよいと思うが周りの価値観に合わせず、自分を信じて行動したおかげで新しい発見ができた。この経験から自分の意志を主張することが苦手な私は少し自信を持てたし、今度自らの選択を迫られた時にも自信をもって決断できると思う。 しかし、その時代の価値観に合わせて生きることも大切である。白雪姫というお話がある。この話は、女王が魔法の鏡に向かって「この国で一番美しいものは誰?」と聞くと鏡は「白雪姫」と答えた。ショックを受けた女王は白雪姫を殺そうとする話である。しかし、美しいの価値は国や人、時代によってさまざまなので価値観にとらわれすぎず、単なるその時代の価値観だと思って合わせて生きることも大切ではないだろうかと私は思う。以前、家族で昔の学園ドラマを見ていた時教師が髪を伸ばしている男子生徒に向けて無理やり髪を剃っている場面を見たことがある。私はこの場面を見て「なんてひどいことをするのだろう」と思った。しかし、そのドラマの時代ではそれが普通であり、今のように一人一人の個性を尊重するという方が不思議に思われる時代もあった。あのとき「ひどい」と思いながらも時代によって価値観は変わるのだなと思ったことがある。 自分自身の価値に従って生きることも、その時代の価値にしたっがて生きることも大切である。しかし「過去と他人は変えられないが自分と未来は変えられる」という名言があるようにどの時代のどの価値観の下にあっても自分の意見はしっかりと持つことが大切であると思う。
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