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AI森リン「森リー」
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★4月18日から新しい森リン点になっています。
AI森リン「森リー」
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<<構成>> 新聞というものをまるで読まないと言い切っている人がいる。そうかと思うと、朝手洗いで新刊書の広告を読むのが最大の楽しみだという人もいる。演劇、音楽、催し、人についてなど、こうした、自分が知っているから隠れた意味が明らかになるといった事実は、なるべく宝さがしのように、それらしくないところに置いてあった方が良い。多くの人が、新聞の読書欄というものをたいしてありがたがらず、本の広告の方にひそかな楽しみを託そうとするのは、そのような情報の極秘化の欲求の表れかもしれない。 私たちは、行間や余白といったものにもっと目を向けるべきである。 <<題材>> その理由は第一に、行間や余白のように一見役に立たないものが重要な役割をはたしていることがあるからだ。 例えば、私は人前でスピーチを行う機会が多い。あまり緊張は感じないのだが、どうやら心は緊張しているようで、早口になりすぎてしまうことも少なくないのだ。早口になってしまうと、相手は聞きにくくなるだろう。その癖をなおそうと考えて、まずはじめに取り組んだのが、「行間」をしっかりとるということだ。小学6年生の時に、担任の先生がアドバイスをくれたからだ。話すスピード自体を遅くしようとするわけではなく、言葉と言葉の間を大切にとることで、友達には「聞きやすくなったね」と言ってもらい、個人的には酸欠になりにくいため、話しやすくなった。余裕もでき、観客の反応を気にすることもできるようになってきた。 <<表現>> その理由は第二に、行間や余白というものがなかったら疲れてしまうからだ。 行間は私たちの生活の中で言う「休憩」である。ずっと休まず、ずっと勉強し続ける。そんな学校だったら嫌だろう。学校では移動教室のための授業間休憩と昼食休憩、そして遊べる休み時間がとられている。例えば、6時間連続で休憩もなしに授業を受け続けなければならない学校だったとしたら?頭が働かなくなるのはもちろん、体調が悪くなる人まで出てくるだろう。世の中にはブラック企業、なるものがあるらしいが、それはダメなことであると誰もがわかっているから「ブラック」と言われるのだろう。実際、私が所属している合唱団では、定期演奏会直前になると、たくさんの練習をする。普段は1週間に1回の3時間練習なのに対し、2日連続することや5時間ほどの練習もある。休憩が少なくなると、特に小学生が実際に倒れるということが起こった。人には休憩がそれほど大事なのである。 <<主題>> 確かに、スピーチでも授業でも、行間や空白がないほうが、内容は濃くなったり、充実したりするだろう。だが、私たち人間が行う上で大切なのは、「理解」をし、「自分の考え」を共有しあうことだ。私は今「二十億光年の孤独」という、谷川俊太郎の詩集を読んでいる。詩はそもそも文字数が少ない。そして、句点は何か特別な意味を持つ時以外はあまり使われない。私は、このことから、行間や空白を大切にしているのだと感じた。ただの文章でも、1マスあくことや、1行あくことで、何か言葉にはあらわされていない思いが伝わってくるような気がする。 私には、行間や空白が、とても難しいと同時に面白く、人間の象徴だなと感じられた。
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