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AI森リン「森リー」
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★4月18日から新しい森リン点になっています。
AI森リン「森リー」
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自が読めないことを意識しつつページをめくり、「ここには何が書いてあるのだう」と筆者は思ったことがあった。兄の本の中に「漫画の描き方」のようなもので、読もうとしても字が読めなかった。だからこそ想像を絶するほどおもしろかった。下手な手品は一方からしか見えないが、魔法はどこから見ても魔法である。幼い日に読んで血をわかした本が後年読み返してみると、思いの外につまらなかったりすることは間々あるもの。手ごわい相手、理解できない書に行きあたると、文字の読めない幼児のように、その昔に帰ったようにもどかしく、「この本が読めたら」と足りずしたくなる。 私が読んでいておもしろかった本を友達にすすめたが、 「字が小さいし、このジャンルはあんまり…」 と言われてしまった。その友達も良く本を読んでいたから好きだと思ったが、本好き同士でも、同じような本が好きだとは限らないと思った。まるで、同じ人がいとりもいないように好きなものが異なる。 私が小学4年生か5年生のころ、宮沢賢治の「注文の多い料理店」を読んだけれどあまり面白く感じられなかった。しかし6年生になってからもう一度同じ本を読んでみると、前よりも少し意味が分かるようになりおもしろかった。父が、世間で人気だった映画を見たことがあったそうだ。この映画は、小説が原作になっていた。父はこの映画を見て、 「小説の方がおもしろかった。」 と言っていた。映画になると色々テレビ会社などの都合で少し変わったりするそうだ。 読書とは、人間にとって大きくなるにつれて変わっていくものである。小さいころに読んであまり好きではなかった話も、大きくなってから読むと不思議と重しをくなっているかもしれない。だから、そういう本も読んでみたらいいと思う。さらに、本好き同士でも好きなジャンルがちがったり、世間では人気な映画や本が、必ずしも全員の心にささるとは限らないということがわかった。
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