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AI森リン「森リー」
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AI森リン「森リー」
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鯨や象は明らかな「知性」を持つ。しかし、人間の知性とはまた別種のものだ。人間のそれは、自然を意のままに操ろうとする攻撃性によって発達してきた。これにより、私たちは科学技術の進歩や巨大な社会の構築を可能にしてきた。反対に、鯨や象などのそれは穏やかな受容性の知性であると言える。彼らの驚くほどの自然との融和や繊細な理解はこれによって成されているのだろう。現代社会において、私たちの攻撃的な知性は数多の軋轢と問題を生む。実際に、それは戦争に伴う大量殺戮、急速な都市工業化による環境汚染など、様々な形で現れている。だからこそ、私たちも彼らのように、自然との調和を重んじる知性を会得するべきではなかろうか。そのためには二つの方法が見出せる。 第一に、人間の社会活動が盛んな都市部などの地域にも、自然と触れ合える環境を整備する、という方法が考えられる。そうすることによって、人工物以外のものに無意識下で注目を集められるからだ。コンクリートやアスファルトの道、天に届きそうなオフィスビルの群。これらは人間社会の脅威的な力を顕示すると共に、私たちの本来の出自を忘れさせてしまう危険性を孕んでいる。旧約聖書における創世記に、バベルの塔の神話がある。天まで届く塔を建てた人類は、その傲慢さを罰せられた。この有名なエピソードは、力を過信する私たちへの警告として捉えられるだろう。だからこそ、人間もあくまで数多いる生物の一種に過ぎないことを思い出す必要があるのではなかろうか。故に、個人が積極的に行動しなくとも、日常的に自然を意識する環境を作ることは非常に有用であると私は推察する。 第二に、自らの思考そのものを分析し、その源を探るという方法も挙げられる。前提として、人間の思考は欲求から成り立つ。マズローによると、生理的欲求、安全の欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求がピラミッド型に連なって私たちを構成しているという。欲とは私たちの行動の祖であり、すなわち思考の源泉である。これを考察すると、私たちの「攻撃的な知性」というものがどのような欲求から支えられているかを見極めれば良いのではないか?なぜならば、人間の攻撃性は飢えた欲求から発現するからだ。具体例を挙げよう。子供が店でお菓子を盗もうと思いつく。すると、こう考える。どうすればこっそりバレずに盗めるだろう?どのお菓子を盗めばより大きな利益が期待できるだろう?これらの思考を五つの欲求のどれかに当てはめよう。その状況の前提により変わるが、例えば「お菓子を食べて腹を満たしたい」という生理的欲求、「リスクを冒して何かを手に入れたい」という自己実現欲求だったりする。子供の悪さと、人類の破壊的な活動の本質は同一だ。目先の欲求を満たすための自己中心的な行動の蓄積が、取り返しのつかない事態を招くのである。だからこそ、私たちはこの原理を理解して扱う術を学ばなければならないと考える。 確かに、私たちはこの攻撃性の知性により、その文明を飛躍的に発展させた。現代の先進諸国の高い生活水準も、このお陰で成立している。しかし、人間の豊かさの本質は物質的な豊かさではない。移ろい変わる季節や美しい景色、多様な感情の揺らぎや他者との絆・・・それらを感覚的に理解し、写像として表現しようとする文化的な豊かさなのではなかろうか。それこそ、鯨や象のそれのような、別の形の知性が支えてきたものではなかろうか。故に、この受容型の知性を私たちはより尊重するべきと主張する。
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