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AI森リン「森リー」
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AI森リン「森リー」
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誰だって同胞たちの死を無駄とは思いたくない。意義のある崇高な死とみなしたい。しかし、無駄と認めないのは、自分たち人間の愚かさを糊塗することに他ならない。ヒロシマへの原爆投下の正当性を言い張る人々がまだアメリカには多いようだ。これに対して、日本の側からなんの反論も出てこないのは何故だろう。それは、戦後50年、各論として名誉の破片を拾う本は沢山出たが、究極の責任を問う史料はまだ出ていないからなのである。 戦争の悲惨さを後世に語り継ぎ、反省することは大切だ。私は先日、「あの花が咲く丘で君とまた出会えたら」という小説を読んた。この物語は、中学二年生の主人公、百合が母親との喧嘩した夜、戦時中の日本にタイムスリップし、特攻隊の人と出会い、別れるまでのストーリーが描かれているものだ。私はこの物語を読んで、国のために死ぬのに、まだ未来ある若い人々が沢山いることに、戦争の残酷さを感じた。私が1番印象的だったシーンは、百合は未来から来ていて、日本が戦争に負けることは知っているから、どうせ日本は負ける、逃げようと言っているのに、百合と出会った特攻隊の人は自分は国のために死ななくてはいけない、といって特攻にいったシーンだ。まだ若いのにこんな言葉をいうなんて、と戦争の悲惨さを感じた。 しかし、どうしたら戦争にならないかを論理的に考え、対策を立てることも大切だ。昔話で考える。例えば、桃太郎だ。桃太郎は鬼退治に行くと決めた時、ひとりでは勝てないと考え、仲間を募った。しかし、ここで桃太郎がどうしたら鬼と戦わないで、平和に解決できるかと1歩止まって考えることが出来なのなら、また違う結果になっただろう。例えば、戦わずに鬼と直接交渉すれば、平和に解決できたかもしれない。 確かに、過去の戦争を反省することも戦争を回避する為の対策を立てることもどちらも大切だ。しかし、いちばん大切なことは『戦争を防ぐために、平和のために心を尽くすことだ』という名言があるように、私たちが平和を求める心を持つことである。
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