全員一致の善悪
中2 のんの(aohita)
2025年2月1日
全員一致の裁決を採用しないというユダヤ教の習慣は、一見すると奇妙に思えるが、実は深い意味を持つ。この考え方の背景には、熟慮の欠如や自由な意見表明の制約、さらには根回しの影響など、全会一致の決定が必ずしも健全ではないという認識がある。例えば、日本相撲協会では重要事項が全員一致で決定されることが多いが、それが本当に自由な意思の結果なのか疑問が残る。また、時局討論会では「イエスかノーか」の二択を求められても単純に答えられないケースが多いように、意思決定は単純な多数決では測れない複雑なプロセスを伴う。百対ゼロの決断は現実にはほとんどなく、微妙な差異の中で慎重な判断が求められるため、全会一致の決定を疑うことは理にかなっている。
全員一致の決定は必ずしも正しいとは限らない。なぜなら多数派に流される危険性があり、熟慮が不足している可能性があるからだ。例えば、日本相撲協会のように全員一致が常態化している組織では、異論を伝えにくい雰囲気がある。僕は、学校で多数決の時に友達によく流されて自分後本当に望んでいない選択肢に手を挙げてしまうことがある。そして、決定してしまうことが多くある。この決定は、すべての人が納得していないことから、正当な多数決とは、言えない場面もある。そのため、僕の学校のように、多数決の時は、フォームを送り、匿名で回答してもらうのが良いと思う。
しかし、全員一致は、合意形成の結果として理想的な状態ともいえる。それは、十分に議論を重ねた結果として、全員が納得している場合もある。例えば、企業の経営会議では、慎重な協議の末に全会一致に至ることがあり、それが組織の安定や、モチベーションにつながることもある。昔話「桃太郎」では、犬や猿などの動物が、鬼を倒すために一致団結したため鬼征伐は、成功したのである。これは、僕が、学校で生徒会として学校の生徒を説得させ、ほぼ全員一致に近い状態にするのと同じだ。全員のゴールが同じになることで、一人の何倍もの力を発揮できる。
僕は、これから説得力を高めることを努力したいと思う。説得力は、議論をする中で、重要な鍵だからだ。そのため、日常生活で意識をし、できるだけ練習することが、未来につながると思う。
このように、全員一致の決定には問題点があるが、全員一致を否定するのも適切ではない。「もし全員が同じ意見ならば、誰も深く考えていない証拠である。」(ウォルター・リップマン)という名言があるように、意思決定の際には、異論を許容し、慎重に議論を重ねることが重要である。また、議論に向けて、これから説得力を高め、相手を納得させられるような文章を書く練習をすることが重要だと思う。