かたおかさん、作文のご提出ありがとうございます。
今回の作文では、学問がどのように教養として役立つか、また現代の教育システムの問題点を
指摘しつつ、その改善策についても考察されていました。
特に注目すべきは、学問と教養の関連性を深く
掘り下げ、それぞれがどのように人生に役立つかを具体的に述べている点です。
また、データを用いて受験の低
年齢化が進んでいる現状を示し、その問題点を明確にしています。
これにより、読者に対して説得力のある議論を展開できています。
◎社会問題の主題がよく書けています。「私は、このような社会は問題であると思う。」
◎データがよく書けています。「令和四年度の私立中学進学割合は、二十五パーセントである。」
【
語彙力評価】
-字数が1200字以上書けています。
-難しい言葉がよく使われています。
-表現豊かな言葉がよく使われています。
これからもこのような
洞察力と論理性を持ち続けることで、より深い内容の作文が書けるようになるでしょう。引き続き
頑張ってください。
作文字数1452字 |
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目標字数1200字 |
総合点 90 点 |
思考語彙 70 点 |
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| 表 現 語 彙 98 点
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知識語彙 98 点 |
■思考語彙 33個
地域によって,だろう,。おそらく,と考える,と思う,と思う,のため,いるから,するべき,いくべき,学問によって,だから,学問によって,過程によって,読むため,と思う,過程によって,。むしろ,と思う,読むため,、いわば,。例えば,れると,あろう,。しかし,と考える,。しかし,そのため,学問によって,と思う, 確か,。しかし,そのため,
■知識語彙 82種
一個人,世界,中学,人物,以上,以外,会得,会話,使用,信頼,入学,入試,全国,公式,初対面,割合,勉強,原因,受験,同級生,唯一,問題,困難,地域,増加,大学,奈良,学力,学問,学校,定期,小学生,少子化,年度,必要,思考,成長,打破,技術,推薦,教養,数値,数学,文章,方法,日常,日本,最近,未来,本来,東京,構築,特性,現状,環境,生活,目的,社会,私立,競走,総合,総数,能力,自体,自分,自身,解決,言葉,計算,評価,試験,読解,論理,身近,進学,過程,選抜,重要,関係,音楽,風景,高知,
■表現語彙 141種
いずれ,ここ,こと,これ,これら,それら,たくさん,たち,ため,とき,どこ,もの,よう,アーティスト,パーセント,一個人,上,世界,中,中学,主,二,二つ,五,人,人物,令,以上,以外,会得,会話,何,使い方,使用,信頼,先,入学,入試,全国,公式,初対面,前,割合,力,勉強,十,原因,受験,同級生,和,唯一,問題,四,困難,地域,型,塾,増加,多く,大学,奈良,好き,子ども,学び,学力,学問,学校,定期,小学生,少子化,年度,度,当たり前,影,心,必要,思考,成長,打破,技術,推薦,教養,数,数値,数学,文章,方,方法,日々,日常,日本,時,最近,未来,本,本来,東京,構築,流れ,特性,現状,環境,生活,的,目,目的,県,確か,社会,私,私立,競走,総合,総数,者,能力,自体,自分,自身,親,解決,言葉,計算,評価,試験,読解,誰,論理,身,身近,進学,過程,選抜,都,重要,関係,雲,音楽,頃,風景,高知,
■文化語彙 46種
しまう,せる,つける,できる,られる,れる,わかる,付く,作り出す,作る,使いこなす,値する,取り入れる,向ける,培う,増える,始まる,始める,学ぶ,学べる,得る,感じる,極める,活かす,流れる,減る,測る,溜め込む,生きる,異なる,経る,続く,続ける,考える,聞く,聴く,落とし込む,見える,見渡す,覚える,解く,計る,読む,通う,進む,重ね合う,
学びの姿とは
高2 かたおか(kataoka)
2025年2月1日
私は、学問を教養のように学べないことが問題だと思う。学問は教養のように学べるべきである。教養とは、経験によって培われる知的素養や心の豊かさを示している。教養を得るうえで大切なのは、常日頃からそれを意識することだと思う。このことは、学問にも同じことが言える。学問は、生活を豊かに営むための思考力や判断力を養う一手段でしかないのである。
一つ目の原因としては、受験に向けての競争意識を幼い頃から持っているからだ。受験の低年齢化は年々顕著に現れるようになったと思う。私の周りでも、小学校受験とまではいかないが、小学生の頃から塾に通い、私立中学へ入学した同級生は多くいる。地域によってその特性は少し異なるようだが、最も受験者数の多い東京都ではどうだろうか。令和四年度の私立中学進学割合は、二十五パーセントである。これは全国で最も高い数値だ。その次に高知県、奈良県、と続いていくが、いずれも十パーセント以上である。おそらく子どもたちの心が成長するより前に受験競走は始まっていて、日本の社会で生きていくには必要なことだと考える親が増えているのだと思う。私は、このような社会は問題であると思う。子どもたちが学問の本来の目的ではなく、学問を受験のためだけに学び、日常生活に活かしづらい現状を、作り出してしまっているからだ。少子化が進み子どもの総数は減っているが、受験をする子どもの割合は増加し続けている。この現状を打破するべく、学問を日々の生活に重ね合わせていくべきなのである。
二つ目の原因は、学問によって身に付く思考力が計りづらいものだからだ。学問によって身に付く思考力とは、主に数学的な過程によって身に付くものと、文章を読むために必要なものがあると思う。数学的な過程によって身に付く思考力は、計算が早いとか公式をたくさん覚えているとかそういうような技術は重要ではない。むしろ、それらを使いこなした上でどのように問題を解くのか、という問題解決に向けての論理的な思考力だと思う。また、文章を読むために必要なものとは、いわば読解力だ。本を読むとき、人と会話をするとき、音楽を聴くとき、美しい風景を見たとき、私は自分の中に読解力を感じる。例えば、「流れる雲の影を見た」という文章があったとして、ここに長い時の流れを感じる。初対面の人から、「好きなアーティストは誰?」と聞かれると、この人と関係を構築する未来の自分が見える。これらの思考力は、学問以外のことでも会得できるであろう。しかし、幼い時から私たちの最も身近にある思考を得る方法が学問であり、幅広く世界の見渡し方を学べる唯一の方法だと考える。しかし、これらの思考力は目で見ることができないし、入試や定期試験でこの能力を測ることは困難である。先ほどの文章や会話を経て、いちいち何をどこまで感じたか、などその人自体を評価することは難しい。だが、最近では総合型選抜や学校型推薦など、大学受験においては学力ではなく、一個人として人物を評価する入試方法が広く取り入れられて始めている。そのため、学問によって培われる思考力は評価しづらいものではあるが、教養のように、当たり前に学べる環境を作っていく必要があると思う。
確かに、勉強ができるということはその人自身の信頼に値する。しかし、言葉は溜め込むものではなく、何度も使用して正しくわかりやすい使い方を身につけていくものだ。そのため、学問自体を極めることよりも、日常生活に学びを落とし込む力が必要なのだ。