新聞から学ぶこと
   中1 すみひな(sumihina)  2025年2月2日

新聞の読み方は人それぞれである。多くの人は記事の内容に注目するが、実は行間や余白にまで目を向けると、新たな発見がある。例えば、広告欄には時代の流れや流行が反映されており、記事とは別の角度から社会を知る手がかりになる。新聞は縁日のようなものだ。本来の目的を持って記事を読んでいても、ふと目に入った広告やコラムに興味を引かれ、気づけば思いがけない情報に夢中になっていることがある。つまり、予想しなかった情報が身近なところに潜んでおり、それを探し出すことが新聞の面白さなのだ。文章だけでなく、余白や行間にも注意を向けることで、より深い理解が得られるため、新聞を読む際には意識的に広い視点を持つことが大切だと私は思う。



 1つ目の理由は、一見すると役に立たないように思えるものでも、実は重要な役割を果たしていることがあるからだ。絵画において余白は作品の雰囲気を決定づける要素となるし、音楽では休符がメロディを引き立てる。これは新聞の余白にも通じるのではないだろうか。余白に配置された広告は単なる宣伝ではなく、その時代の流行や社会の関心を映し出す役割を果たしている。また、細かな注釈や脚注には記事の背景を補足する情報が含まれていることも多い。新聞を読む際、単なる文章の集合としてではなく、全体を一つの作品として捉え、細部まで意識することが重要なのだ。



 2つ目の理由は、情報を受け取る際には、行間や余白が大きな役割を果たすことがあるからだ。例えば、講演や会議では、発言と発言の間に適度な「間」を置くことで、聞き手の理解度や満足度が向上することが研究で示されている。話の内容がどれほど優れていても、言葉が詰め込まれすぎると、聞き手は消化しきれず、十分に理解できなくなる。このように、情報の「空白」には大切な意味があり、それを活用することで、より伝わりやすくなるのだ。新聞においても、行間や余白が読者の視線を導き、内容を整理する役割を果たしている。つまり、新聞を読む際には、単なる文章の羅列ではなく、そこにある「間」にも意識を向けるべきなのだ。



 私たちは普段、目立つものばかりに注意を向けがちだ。しかし、実際には余白や行間のように、一見目立たないものこそが重要な役割を担っていることが多い。新聞の広告欄や脚注、さらには行間の余裕もまた、情報の一部として捉えるべきである。この考え方は、新聞に限らず、日常のあらゆる場面に応用できるのではないだろうか。現代ではSNSやニュースアプリなどが主流になりつつあるが、それらと比べて新聞の余白や構成の工夫は独自の魅力を持っている。人の言葉の間や表情の変化など、見えにくい部分にこそ大切な情報が隠れていることがあるのだ。新聞のように「意図しない情報との出会い」があるメディアは意外と少ないと感じるのは私だけだろうか。私たちがより多くのことを知り、深く理解するためには、目の前の情報だけでなく、そこに潜む存在に気を配ることが大切だと私は思う。