私の家は自動車が(感)
小6 あかまな(akamana)
2025年2月2日
私の家は自動車がやっと通れるぐらいの路地に面している。3年前まではその路地は、さまざまな人や動物の散歩道として利用されていた。都内にはめずらしくほそうされていず、道ばたには草が生えていた。買物に行く主婦も、下のバス停に行く人も、ちょっと回り道をしてこの道を通っていった。だが数年たって路地全体に異変が起きた。下水道工事が始まって地面がほりがえされ、車の震動で下水管がこわれぬようにしっかりとほそうされてしまったのだ。ネコジャラシにスギナ、スミレもタチイヌノフグリもそれ以来路地から姿を消してしまった。道は車向きの道路になり、地球のかけらではなくなってしまった。
私は小さいころから自然や動物と実際に触れて学ぶ機会を作ってもらっていたと思う。だが私は道に生えている雑草を必要ないただの「草」と考え引っこ技いていた。そんな私も雑草のありがたさに気づくことが出来た出来事が起こった。それは5年生の自然学校の山登りである。山登りなんて簡単なことだろう、と思っていたのだが登り始めてから20分ほどたってとうとう疲れてきてしまった。まだまだ頂上が見えて来る様子もなく、太陽がギラギラと照りつける中私達は頂上を目指して歩き続けた。みんなではげまし合いながら、何時間もかけてやっとのことで登ることが出来た時の達成感はとてつもなかった。それに頂上から見下す景色はまるで自分が山の神となったような信じられない美しい光景が待ち受けていたのである。だがこのようなきれいな景色を目にすることが出来たのは雑草のおかげともいえるだろう。なぜなら、雑草の緑があることでより美しい光景が引き立ち雑草の緑に自然そのものの豊かさを感じることが出来るだろう。私はこの経験から雑草のありがたさに気づくことが出来たと思う。
動物は森林伐採や密猟により絶滅の危機に直面している。私はそのような動物を一匹でも多く救うために、将来獣医として野生動物の保護活動をしたいと思う。私が獣医になりたいと思うようになったきっかけは小学2年生のころの国語の教科書にあった「動物園の獣医さん」という話である。動物のことを一番に考え多くの動物の命を救えるような獣医に私もなりたい、と思うようになった。そこから私は森林伐採や密猟により多くの動物が絶滅の危機に直面していると知った。だからそのような動物を一匹でも多く救うために将来獣医として野生動物の保護活動をしたい。
雑草は「雑草」とまとめられてしまっているが、雑草一つ一つに名前があるそうだ。スギナ、ナズナ、オヒシバ、コニシキソウ、カタバミ、などを始めとして約900種類もの雑草があるといわれている。
人間にとって自然とは、私達人間の身勝手な行いでけずってはいけないものの一つであり、未来にも残していかなければならないものである。その中でも一番大切なことは、私達も自然の一部である、ということを忘れずに生活を送ることではないだろうか。一人一人が今の現実を知ることが大きな一歩につながるのだ。