行田の浮き城
小4 あきえひ(akiehi)
2025年2月2日
「行田の浮き城」
「おお〜これが忍城天守か〜」
ぼくは、埼玉県行田市にある忍城とさきたま古墳群に行った。今は車に乗ってようや忍城に着いたところだ。
ぼくは、なぜ忍城に行きたくなったのかというと、豊臣秀吉も最後まで落とせなかった城だと本で読んで興味が湧いてきたからだ。早速カメラを持って忍城に入ると、たくさん壁に穴が開いた広間に出た。その穴はいろいろな形があって、そこから鉄砲や弓などで敵を狙う。あと、一月だったので、成人式でお市場に来ている人もたくさんいた。忍城を一通り回ったので、忍城の中にある資料館に入ろうと思った。資料館に入ると受付があって、そこにクイズラリーもあった。ぼくは面白そうだったのでクイズラリーをやることにした。そのクイズラリーは忍城のあちこちを回って謎解きをするゲームだった。大人でも考えるのが難しく、展示物などを利用したクイズもあって面白かった。お昼を食べて、さきたま古墳群に行った。埼玉古墳群のさきたまは漢字にすると埼玉になるため、埼玉県の名前の由来にもなっている。古墳が見切れないほどたくさんあって、古墳群というだけのことはあると思った。特に、三つの古墳を中心的に見た。一つ目は、丸墓山古墳だ。丸墓古墳に続く道には石田三成が忍城攻めに使った石田堤がある。また丸墓古墳は石田三成が忍城攻めの拠点に使ったと言われている。この古墳は丸く、登ることができる。二つ目は将軍山古墳だ。将軍山古墳は昔の姿を再現するために土器がたくさん並べられていた。この古墳は鍵穴の形で登れない。三つ目は稲荷山古墳だ。頂上から埋葬施設が発見されて、実物は地下1メートルに保存されている。また、稲荷山古墳で出土した勾玉や鉄剣h国宝に指定されている。この古墳も鍵穴の形で、登ることができる。ぼくは、地図にも国宝と書いてなかったし、稲
荷山古墳の頂上に少し書いてあるだけだったので、国宝と知った時にはびっくりした。
ぼくは、忍城主の成田氏長の長女、甲斐姫に着いて調べた。甲斐姫は身長が高かったので、成田氏長が武芸を習わせたら、みるみる上達して、女武者になった。その後、小田原城が降伏した後、豊臣秀吉の側室になり淀殿の信任を得て、秀頼のもりをする役にもなった。その後大阪城落城も経験した。最後は東慶寺というお寺に逃げ延びたと言われている。甲斐姫の人生は波乱万丈だと思った。なぜなら、女武者になって、軍を率いたり、敵だったはずの豊臣秀吉の側室になったり、大阪城が落城して、お寺に逃げ延びたりしたからだ。
忍城に行ってみて、城の仕掛けは小田原城よりすごくなかったけれど、なぜ小田原城より強かったのか今回は分からなかったので、また行きたいと思った。