周りと比べること
   中2 あささえ(asasae)  2025年2月2日

 中世や近世のヨーロッパで見られたヘンリー8世やヒットラーといった支配者は、文字通り彼らの価値観を社会に押し付けて支配した。では、こういった代表的な支配者が存在しない現代に生きる私たちは、何にも支配されていないのかと言うと、そうではなくて、文化のコードという不確定であいまいなものに支配されていると言える。社会という人間がたくさん集まった中で生まれた価値観が私たちを支配しているということである。人間には創造性があるのでこれらは変化することもある。それはつまり常識が変わるということである。こういった「文化」から逃げようとして、例えば自分の住む場所から離れた南国に行ったとしても、その国での流行や人との出会いはもちろんあるので、やはり文化から逃げ切ったとは言い難い。

 確かに、文化のコードに流されている人間に対して、もっと自分の価値観を持つべきだと主張する意見もある。現代人は特に社会の中の美の文化のコードに振り回されている人が多く、かくいう私もそのひとりである。私は生まれつき一重まぶたで、現代の美人の特徴である二重まぶたに近づきたいと悩んでいる。まぶたを糊で持ち上げて人工的に二重まぶたを作る化粧をするくらいだ。しかし、歴史的観点から見ると、日本で古代から近代までの「美人画」に描かれているのは目が細い面長の女性が多い。つまり、細目の面長が「美人」と評価されていた時代があったのだ。それに対して現在日本で活躍する芸能人は小顔で目の大きい人が多く、「美人画」の中の女性たちとはまるで正反対である。つまり、「文化のコード」はこのくらい目まぐるしく変わるのである。こんなに不確定で信用できないものに支配されるより、自分が美しいと思うものを探し、それを探求すればいいのではないか。

 しかし、世の中の流れに適応する力も必要という意見もある。月からの使者かぐや姫は竹の中から老夫婦に発見され、二人の愛情を受けながら育っていく。そしてそこから年月が経つと、かぐや姫が貴族の目すらも奪うほどの美人に成長する。そして、彼らから結婚を申し込まれるが、月からの使者であるがために地球に残れないので彼らはかぐや姫との結婚は果たせずに終わってしまう。この物語を読むと、かぐや姫が人気だったのは彼女の美貌ゆえだと思われそうだが、それ以上にかぐや姫は月からの使者、要するに宇宙人なのである。いくら美しいからといって宇宙人とは結婚したくはないだろう。つまり、かぐや姫は月から来たにもかかわらず、人気者になれるほど地球での生活に適応していたのである。周りの文化に合わせ、宇宙人であるということを隠すだけで、ただ容姿が注目されて有名になれるくらいなので、周りに適応しているというのはそれくらい大事であるということがわかる。

しかし、一番大切なのはその場に応じた行動や考えができることである。周りを気にする必要がなく、自分の価値観が大事になるときはそれに従い、周りに合わせる必要があったら状況を見ることを心がけることが求められる。「隣の芝は青い」という言葉がある。これは、周りはどうしても羨ましく見えるもの、という意味がある。つまり、周りが優れているというのは単なる考えすぎだということだ。かといって、自分の芝を青くしようとする努力を怠らないことも必要である。周りを気にしすぎずに、自分をゆっくりレベルアップさせたい。