アイデンティティを見つける
   中3 あえもも(aemomo)  2025年2月1日

 現代はアイデンティティ不定の時代と言われている。近代社会が、前時代の共同性を解体させ、個人がある具体的な共同体に属することの内的な意味を希薄化させた。近代以前の子どもと大人は、儀式によってはっきりと分けられていた。ところが、近代は、その境目が「教育課程」という長いシステムになったため、自分がどこで大人になったのかを曖昧にさせた。一方、近代以前には、子どもは小さな大人であり、早期から大人の集団に仲間入りしていた。しかし、近代は、子どもは子どもとしてあつかうようになった。これら2つの側面から、近代になって、子ども期は、いくつかの段階を抱え持ちつつ、次第に大人になる「過程的な」存在とみなされるに至ったのである。このことから私は、社会のなかで自分の役割を果たし、アイデンティティを持った人間になりたい。

 その方法は第1に、家庭内でお手伝いをすることだ。近年、学力向上を重視する学校が増加し、勉強第第一の考えが広まってきているように感じる。私の学校でも、「勉強」というワードは耳が痛くなるほど聞いているが、「お手伝いを率先してやりましょう。」とは、ほぼ言われない。修学旅行に行った時のことだ。私たちが泊まった宿舎の寝室は、和式だったため、自分達で布団を敷く必要があったのだが、同部屋のみんなは、雑談をし続け、なかなか敷いてくれなかった。結局私が、一番に敷き終わり、他人の分まで手伝った。私は、頻繁にお手伝いをするとは言えないが、布団敷きは、母の代わりに何度かやったことがあるため、普段ベッドで寝ている人よりも手早くできたのだろう。このように、家庭内の手伝いが、社会に出た時に、自分の役割やアイデンティティとなるのだ。何か傑出した天賦の才能がなくとも、自分の役割を持って、社会に貢献するための第一歩として、家庭でお手伝いをすることが大切だ。  

 第2の方法は、社会のなかで役割を与えることだ。私は習い事で、イベント委員会になり、その委員長に挑戦した。この委員会は、みんなのために、イベントを企画し、日々のレッスンの息抜きを作る委員会だ。私は、初めて委員長という位置になったため、何をどうすればいいのか分からない未知の領域に入った感覚だった。委員のみんなを集め、早速「どんなゲームがしたい?」と聞いてみた。なかなかすんなりと案が出て来なかったが、出てきた案は私には到底思いつかない名案だった。また、イベントの進行にあたって役割を振ったのだが、まだ小学校中学年の子たちも、イベントのお知らせや司会などの重要な仕事をしっかりと果たしてくれた。「まだ小さいから。」という気遣いが先に出てしまいがちだが、しっかりとした役割を意図的に与えることで、個々が使命感と責任感を持ち、真剣な気持ちでその企画と向き合うとともに、役割を達成したときの自信はその後の成長にもつながる。社会で必要とされる存在となるために、早いうちから様々な役割を経験しておくことが大切だ。

 確かに、二度と戻ってこない子ども期を存分に楽しむのも良い。しかし、「勝負に勝つためには、苦手をなくすことよりも、得意技を持つことである。」というように、苦手を減らして、皆のレベルに追いつこうとするよりも、自分の役割を持つために、様々なことに挑戦し、アイデンティティを持つ方が、社会で自分らしく輝ける。まずは、今の自分と向き合い、自分はどうあるべきかを考えて、自分の特技、特性について知ることが重要だ。