チャレンジ
   高2 あかしか(akasika)  2025年2月3日

 筆者は相撲を初めて見に行ったとき、観客席が四六時中ざわついていることに驚いた。しかし、劇場やコンサートは元々人々でなんとなくざわついている中行われていた。そのうち、演ずる者、見る者とを空間的に分離する装置の中で二つの距離が発生した。この「芸術鑑賞」を批判して生まれたのが観客を巻き込むスタイルのライブ演奏などである。私は常に傍観するのではなく、参加できる社会にしていきたい。

 そのためには第一に、何にでもチャレンジする姿勢を持つことである。日本人は国民性としてチャレンジすることを嫌がる傾向にある。反対にアメリカ人はチャレンジできるものは全部やりたいくらいの積極性を持っていると私は感じる。私は小学校高学年の頃、アメリカに住んでいた。アメリカの小学校の授業で先生が「これわかる人!」と呼びかけると、多くの生徒が自信満々に手を挙げていた。また、アメリカの中学校ではクラスの前で何かを発表することを恐れている人はかなり少ない印象を受けた。このことに気づいた上で日本に帰国すると、授業中もわかっていながら手を上げない人がいたり、ある時大道芸を見ていたら「手伝ってくれる人!」とその人が全体に呼びかけて少し時間が経ってから子供が手を挙げていて、日本人は遠慮しがちだなと思った。

 第二には、小さい頃から学校教育で参加できる場面を増やすことだ。私は最近修学旅行でオーストラリアのメルボルンに行った。五日間で、うち二日はほとんど機内で過ごしたため、実質三日間であった。オーストラリアに着いて最初の二日間はホストファミリーの家に訪れて現地の生活を知るという期間であった。三日目はメルボルンの市内を少人数の班で観光する日であった。観光するルートや行き先は事前に生徒が決めて紙の地図を見ながら散策するというプログラムであった。バスの到着がが当初の予定より遅れたり迷子になったりトラムという路面電車に乗ると目的の駅を通り過ぎてしまったり様々なハプニングがあったが、自分たちで巡ったのはとても良い思い出になった。このことから観光するルートは大まかに使う道を決めておいた方が予定が崩れても対応しやすいことやショッピングモールなどで行きたい店は細かく場所を調べておいた方が良いと学んだ。今回の修学旅行のプログラムが全て事細かく決められていたら学んだことは少なかっただろうし、面白みに欠けただろう。

 確かに、受け身でいる方が楽という意見もあるだろう。しかし、全てのことを受け身で捉えていたらつまらない。「未来には、ひとりでにできる未来と、自分で作る未来との二つがある」という名言があるように、自分で動くことによって未来を変えることができる。誰かが決めたことだけをやるのでは、皆同じ人生になってしまうかもしれないので、積極的に何にでも参加することが大切だ。私は来年受験生になり、勉強漬けの日々になるだろう。その中でも参加するというチャレンジの精神を忘れないようにしていきたい。