日本が必要とする文化
中2 あささえ(asasae)
2025年2月3日
筆者は上野の博物館で縄文土器を見たとき、「日本」を身をもって発見した。いわゆる「日本風」といった、弥生時代から後のワビ、サビ、シブミが特徴の陰湿な文化から感じ取られる形式的で惰性な日本観とは違って、根源的感動をぶつける力強い印象を受けたという。このような状況で、世界には二つの糸があり、それらの上に私たちは異様なバランスで立っているような感覚を筆者は持っている。また、日本は現在欧米の方にばかり目を向け、価値観さえも彼らに委ねてしまっているため、縄文時代のフレッシュな日本人を取り戻した方が良いのではないかとも考えているという。
確かに、欧米の文化を取り入れすぎたことで独自の文化が薄れている日本の現状に危機感を感じている意見もある。例えば、私たちは白米、味噌汁、魚、お吸い物などを箸だけで食べるというような完全な和食を食べることは少ない。基本的に私の家では白米に洋食を合わせて食べることが多い。小学校で提供される給食も同様だ。そのため、私が和食屋に連れて行ってもらったときは、食べる順番がわからなかったり、どのように食べるかがわからないものがあったりして困った。今はそういった人が多いためあまり問題視されていないかもしれないが、よく考えてみると、自国の料理の正しい食べ方を知らないというのは大きな問題といえると思う。
しかし、他の国の文化をはじめ、自分にとって新しいものを取り入れることは大切だという意見もある。童話「三びきのこぶた」ではこぶたの三兄弟がそれぞれ藁、木、レンガを使って家を建てる。しかし、標的の狼の前で家を壊されずに済んだのは三男が建てたレンガの家だけだった。この物語が描かれた時代を私は詳しく知らないが、歴史的観点から考えれば、レンガは当時一番新しい素材だったと考えられる。その時代主流であったであろう藁と木は狼に負けてしまったが、レンガは狼から身を守るのに役立ったということから、新しいものは今まで厳しいとされていたこと、ここでいう狼を倒すこと、を可能にする力がある。そのため、新しいことを取り入れることは大切だとも考えられる。
しかし、一番大切なのは、自国の文化を大切にする場面と周りの文化を取り入れるべき場面がわかることである。たとえば、海外に日本を紹介するときは、日本に特有であり、日本の根本である文化を中心にするべきだ。一方で、明治時代に行われた日本の大幅な洋風化も、日本を海外に通じるグローバルな国に仕上げるには必要なことだったのかもしれない。「付和雷同」という言葉がある。これは自分の意見がなく、周りに流されている様を目指す四字熟語だ。日本は今欧米諸国に「付和雷同」しないように自国の文化について今一度考えてみるべきだと思う。私もそのために、まずは日本の文化について海外に説明できるくらい詳しくなり、今日本という国が必要とするような考え方や生活に合う文化を考えたい。