言葉を厳密に伝えるということ
   中1 あかるら(akarura)  2025年2月3日

 科学は記述から始まる。しかし記述の方法によっては現象の再現が大きく変化することがある。では言葉はどのように作られたのだろうか。多くの人は予め存在する物に名前を付けていると考えているが、そうではない。私達は言葉、つまり名前によって現象を捉えることができているのだ。私は言葉を厳密に表現するべきだと考える。この理由は二つある。



第一に、言葉を厳密に表現しなければ円滑なコミュニケーションの妨げになるからだ。一つの言葉には様々な解釈の仕方がある。その理解が受け取る人によって違えば思わぬ問題を引き起こすことがあるのだ。私達にとって身近なスマートフォンでのやり取りがその一例だ。私は以前保健の授業で、メッセージアプリ間での食い違いによってトラブルが起きたアニメーション動画を見たことがある。その内容は、友人どうし公園で遊ぶ計画をした際、移動手段を聞くため、メッセージアプリを使って「何で来るの?」と連絡したところから始まる。メッセージを受け取った友人は、自分がなぜ来るのかを尋ねられたと思ってしまい、何気ないこの一言がきっかけで仲たがいに発展していった。 たった一言の食い違いが大きな誤解とひずみを生み出してしまうということを私は改めて感じた。もしも送ったメッセージがより厳格に「どの交通手段を使うのか」ということを指していれば問題を避けることができたのではないか。このように私達の身近には言葉の意味の食い違いによって内容が変わることがいくつも存在する。その危険性がより浮き彫りになるのは、書き言葉として表れたときだと考える。記述で説明しなければならないからこそ厳密な表現の方法に注意する必要がある。またfumumuというウェブサイトの全国10~60代の男女1589名を対象とした調査によると、言葉が足りないせいで揉め事になることが多いという人の割合は20%を超えるそうだ。当たり前だがコミュニケーションには必ず相手がいる。その人に自分の思いを伝えより良い関係を築くためには言葉を上手に使わなければならない。



 第二に、誰にとっても同一の表現によって様々な物事の形を捉えることができるからだ。表現の違いは個人や学校・企業、また国内だけでなく国を越えて現れることがある。以前私は日本と海外の価値観や表現の違いに関するテレビ番組を見ていたが、その中で最も私の興味がそそられたのは太陽の色についての紹介だった。番組のスタッフが来日している海外旅行者に紙と色ペンを持って声をかけ、太陽を描いてもらうという企画だったが、驚くほど日本人と外国人の太陽の絵は異なっていた。その違いは色にある。日本人のほとんどが赤で塗る太陽を外国人は黄色で表していたのである。私達日本人にとってそうであるように彼らにとってもその色が彼らの常識であるそうだ。これでは比喩として「太陽のような色」と言っても認識の違いによっては捉え方が多いく変化してしまう。もし厳密な定義があるならば、私達の表現も人によって変化することはないだろう。曖昧な表現や説明は人間が考える形や色を異なるものにする力を備えているのだ。このように少しずつでも誤差が生じてしまえば共同作業にももちろん大きな影響が出てしまうだろう。厳密に言葉を使用していくことが、どのような背景を持った人であっても安心して協同できるようになる第一歩なのだ。



確かに曖昧な表現が私達の語彙の幅を広げてきたという一面もある。しかし「言葉は人を作る」という名言がある。精密な言葉選びを心掛けるからこそ人間は不必要なトラブルを避け、自分を表現すると共に言語の感覚をより深めることができるのだ。私はこれからも、誰にでも伝わるということを意識して厳密な表現をしていきたい。このことから言葉を厳密に表現するべきだと私は考える。