ともに
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 演ずる者とみる者、つまり演じられている舞台とそれを鑑賞する観客とを空間的に分離すること、そういう制度になれてしまうと、大相撲とか歌舞伎の楽しみ方に、はじめはとまどう。昔は、じっと息をこらして、作品の世界に浸りきるという「集中的聴取」の思想はまだなかったのだ。現在は、「隔たり」がポイントになっている。見られる者と見る者とを空間的に分離する装置の中で、主体と対象との隔たりと、主体と唯の主体との隔たりが発生する。これは芸術の場合、「鑑賞」という概念と連動している。また、もう一つの意味は、他者との隔たりということである。

 僕は様々なものごとで、皆が一体となってつくっていこうとする人間になりたい。 

 第一の方法は、様々な新しいものごとを取り入れてみることだ。僕は、去年の春に歌舞伎を見に行った。歌舞伎は以前一回だけ見に行ったことがあり、一回目は、The日本の歌舞伎という感じだった。それでも十分面白かったのだが、二回目は一回目とは少し違った。観客の人が入り込みやすい工夫がされていたのだ。たとえば、城本クリニック(0120107929)のCMを入れたりして、最近のものも取り入れていた。日本の伝統に、今のものを入れてみるという発想は出るにしても、実際にそれを入れてみることは苦渋の決断だったと思う。しかし、効果抜群で歌舞伎に、若い人から年配の人まで楽しんでいたと思う。そもそも、こうなった背景には、歌舞伎に興味のある人が減っているため、少しでも知って楽しんでほしいという思いがあるだろう。かたいイメージを取り除けているから僕は良いアイデアだと思う。保守的になりすぎずに、新しいものを取り入れることも大切だと思った。

 第二の方法は、一人一人の目線に立って行動していくことだ。今、沖縄の辺野古では、米軍基地建設のため、海の埋め立てが行われている。これは、国の方針だ。沖縄県は反対したため、代執行で国が行っている。この事例では、国は全体のことしか見られていないと思う。沖縄の一人一人の人々や思い、一つ一つの生き物や自然などの細かいところまで見て考えるべきだと思う。何か大きなことをするときは、する側もされる側も同意の上で、協力してしなければならない。一方ともう一方のつながりがしっかりと無ければ、ズレが起きてそのズレがどんどん深まり、対立していってしまう。交流がある上での協力は大切だと思った。

 確かに、皆が一体となるものごとでは、時間や労力が多くかかったり、混乱が起きたりしてしまいかねない。しかし、「早く行きたければ一人で行け、遠くまで行きたければ、みんなで進め」というアフリカのことわざにもあるように、されるといった受け身の状態や、するだけといった一方的な関係でなく、全ての人が協力して一つのことを成し遂げていくことを目指す、人々との交流を大切にしていく生き方をしたい。