相互が満足する演奏会
中3 あえもも(aemomo)
2025年2月3日
大相撲をはじめて見にいったとき、観客席のざわついた雰囲気に驚いた。皆食べながら見る、見ながらしゃべるため、緊迫感がぜんぜんないのだ。けれども、劇場での西洋の演劇や音楽ももともとは、必ずしも純粋な鑑賞の対象であったわけではない。居ずまいを正して作品に集中するというような聴取の態度は「芸術の享受」あるいは「作品の鑑賞」という1つの思想を制度化してきた態度にほかならない。この制度内で、演奏者と観客を空間的に分離する装置のなかで、演奏者と観客との隔たりや、観客相互の隔たりが生まれた。しかし、近代、演奏中に客が絶叫するライヴ演奏のような、演じる者が観客を巻き込む形式は、「芸術鑑賞」の制度そのものに攻撃の照準を合わせていたのであった。このことから私は、演奏者と観客との境界を無くし、相互が楽しめる雰囲気づくりを考えられる人間になりたい。
その方法としては第1に、演奏者と観客が融合した企画をすることだ。私は、先日、学校でオーケストラを鑑賞するために、大きなコンサートホールへ行った。プロの管弦楽団によって前半は何曲かのクラシックが演奏されたのだが、しっとりした音色に誘われて、いつの間にか眠りに落ちている生徒がでてきた。私も、聞き慣れない曲調に眠気がさしてきた。休憩時間になり、指揮者体験ができるという企画が設けられた。学年からたった1人の選ばれし生徒は先ほどまで、プロの指揮者が立っていた指揮台の上で指揮を振ることができるという貴重な企画だ。皆は一斉に目を覚まし、「やりたい!」と声を上げた。結果、ジャンケンの末選ばれた男子生徒は、某クラシック曲の一部を指揮した。プロの管弦楽団が、その振り方のリズムに合わせて演奏するため、途中リズムの乱れが見られたが、それもまた、プロの指揮者の腕の良さを感じさせた。この体験型の企画により、クラシックでしんみりとした空気感は一変し、ホール全体が愉快な雰囲気になった。そして、演奏のアンコールには、九州全土で応援しているプロ野球チームの活気の良い代表曲が演奏され、プロでも生徒でも同じ九州人であるという共通点も感じることができた。「プロ」と聞くと、自分との才能の差を感じてしまいがちだが、融合型の演出で一体感を生むことができるのだ。
第2の方法は、演奏者だけでなく、観客も参加しようとする姿勢を持つことだ。昨年、市内のコンサートホールでスロバキア人によるオペラが演じられた。私は、習い事でその方々と一緒に最後歌わせていただけることになっていたため、本番前日に、楽しい交流会を経て、相互理解を深めていた。本番当日、私たちは舞台に立つ前に、観客と同じようにオペラを鑑賞することができた。短縮型ではあったが、彼らの歌唱力、演技力の高さには圧倒された。とはいえ、相手は他国民である。途中で物語の解説が日本であるものの、オペラそのものはすべてスロバキア語だ。勿論私達は、歌詞を理解することができない。そのためか、同じ団員の子たちも、交流会でのスロバキア人の優しさを忘れたかのように退屈そうな態度を示していた。私は、前日に母からその物語についての解説動画を見せてもらっていたため、歌の内容が粗方理解でき、退屈せずに鑑賞することができた。演奏者が、気持ちよく日々の練習の成果を発揮できるよう、観客は、事前に演じられるものについての知識をつけておくことが大切だ。そうすることで、演奏者と観客がともに満足感を味わうことができるのだ。私も次回からは、誰かに勧められてからではなく、自分から予備知識をつける努力をしていきたい。
確かに、プロとの差を実感するための演奏会もよい。しかし、「家とは、外から見るためのものではなく、中で住むためのものである。」というように、演奏者と観客の相互が同じように楽しむことが、どちらにとっても一番満足する演奏会だ。私は、今まで演奏会へ行くと、「楽しかった!」という感情が一番だが、同時に心の片隅では、「同じ体勢で見るのが苦痛だった。」という感想も無きにしもあらずだ。一つ一つの公演が充実した時間であるように、私は演奏者と観客、各々の立場で感じる思いを把握し、それぞれの境界線を無くすことのできる最適な企画を考えていきたい。