跳び上がれ!
   小6 すりりんご(akimano)  2025年3月1日

 「よーい、スタート。チクタク、チクタク・・・。ダンダンダンダン・・・」

 私が頑張ったことは、昨年十月にあった市内の小学校六年生を集めて行われた「小学校体育大会」だ。その大会では、玉入れや長縄、陸上、バスケットボールなどの種目があった。私は、長縄で出場した。長縄に参加できるのは、校内でオーディションを受けて、受かった人が出場できる。私は、長縄の跳び手を第三希望にしていたが、なんと、受かってしまった。私は名前を呼ばれた後、第一希望の玉入れがよかったなあと思った。しかし、現実は違った。玉入れに出場する人たちは、なかなか、目標の個数が入らず、先生たちに怒られてばかりいたのである。それに比べ、長縄は、先生たちと生徒たちが、わいわい練習をしていた。そのおかげで、跳ぶことがきつくても、楽しかった。

 長縄は、跳び手八人、回し手二人、計十人で構成されていた。全員の息が合わなければいけない。私の小学校は、全種目に出場したが、長縄が一番少人数だった。そのおかげで、チームの団結力や、練習がやりやすく、上達が早かった。長縄の優勝ラインは、一分間に百二十回以上跳ぶことだった。初練習は、一分間で二十七回、次の練習で五十四回だった。長縄をするのが四年生ぶりだったから、体が慣れていなかったのだろう。練習を約一か月すると、何と百二十回以上の好成績を出せるようになった。それは、チームのみんなが朝早くに学校へ来て朝練をしたり、休み時間を削って中練や昼練をしたり、放課後も残って放課後練で汗を流しながら頑張ったからだろう。小大会当日。私たちは、練習でリズムをつかむために使っていたメトロノームを「メトロノームさま」というお守りにして持っていき、市が運営している運動公園へ向かった。運動公園では、すでにほかの学校の生徒が到着していて、緊張感がましていた。私たちの出番は、午前の部に入っていた。本番までの待ち時間に最後の練習をした。そこでウォーミングアップをしてから、本番に臨んだ。一回目、隣の小学校の記録がトップだった。二回目、一回目の記録より良かった。私たちのグループでは、一番の記録だった。次に、順位が発表される総合点の発表。・・・なんと、私の小学校がグループの中で一位だった。この時は、まるで、大好物が夕飯に出てきたくらい喜んだ。努力が報われた。そして、長縄のチームになれて良かったと心から思った。なにより、とても楽しかった。

 新札の五千円札には、「津田梅子」の肖像画が描かれている。私は、今の五千円札が大好きだ。お金が好きという事もあるが(笑)、何より津田梅子が昔から大好きなのだ。津田梅子は、六歳の時に使節団として、日本を出た。そして、船で七歳の誕生日をむかえ、アメリカへ渡った。当時、数人の女子がアメリカへ行ったが、梅子は、その中でも、一番年下だった。そして、アメリカで十七歳まで育ち、日本に帰国。梅子は何と、アメリカに一人で十年間も過ごしていたのだ。そして日本に帰ると、のちの「津田英学塾」、「女子英学塾」を開いた。梅子は、女性として女性教育を推し進め、日本の女子に英語を勉強することも与えてくれたのだ。外国で頑張ったからこそ日本で初めてのことが出来たのだと思う。私は、梅子のような改革はできないが、気合いを入れて頑張ることはできる。私は、何事にも率先して頑張りたい。

 また、「負けると思えば負け、勝つと思えば勝つ」という名言がある。これは、戦国大名の豊臣秀吉が提唱したと伝えられている。この名言からも、気合で何事も頑張ろうという思いが伝わってくる。 

 人間にとって、頑張るという体験は必ず思い出に残るものである。私の体験も、津田梅子や豊臣秀吉も、頑張たからこそ思い出や歴史に残ったのだろう。私も、自分の歴史に残れるように精一杯何事にも頑張りたい。そして、その努力に報われたい。

「やめ!結果は・・・。」

緊張感が高まる中、私たちは、自分の学校名が呼ばれると同時に飛び跳ねた。