狂気がもたらす効果
中1 あかるら(akarura)
2025年3月1日
恐らく「狂気」とは、原罪の意識に悩んで心に痛みを感じるという自覚を持たない人間のことだろう。私達の心で動いているものが行動を起こす際に一定の方向に向き大きな力を生む。これが続くと人間は興奮していき歪み方を示すため、狂気となる。しかし狂気は永続しない。人間は狂気でない状態を平和と呼ぶがこれが続くと憂鬱を催したりする。人間の生活は狂気の起伏の連続であり狂気なくしては生活が展開しないことがある。私は、時には狂気に見える行動が大切だと考える。この理由は二つある。
第一に成長することができるからだ。狂気は変化を求める心と捉えることができるが日常の慣れた環境から抜け出ることが大きな成長に繋がることがある。私の受験がまさに当てはまる。私は帰国生でないにもかかわらず帰国入試の枠に挑戦するという珍しい受験方法を経験し、入学した今でも周りの友達に驚かれるほどだ。しかし入学後に受ける苦労は人一倍であった。特に英語の授業では内容が難しく次々と進んでいくため追い付くことでさえも困難な状況にあった。しかし振り返ってみるとこの一つの挑戦が英語力の向上を大きく支えてくれたと思う。今では他の友達と同じく高いレベルの読む・書く・聞く力を活用する教材でしっかりと学習し楽しむことができている。中でもこの苦労の一年間を経て大きな成長を感じる技能はリーディングだ。今までは少なかった高度な英語に触れる機会が格段に増え、分かる単語や表現が次第に増えていった。このきっかけとなった私の受験での経験を狂気的だと考える人もいるだろう。しかしこの経験が、想像がつかなかったほどの成長を与えてくれたのだ。これはもしも今までのように英語に頻繁に触れないという生活を継続していては体験することができなかったことだと考える。変化を求めて慣れ親しんだからを手放す「狂気」によって自分自身を一段と高いステップへ押し上げることができるのだ。
第二に、狂気によって私達は大きな力を発揮することができるからだ。狂気を集中と関連付けて考えてみるとこのことが分かりやすくなるだろう。最近私の母は、私の集中力に関して次のような話をする。私の母によると私には極度に、つまり狂気的に集中しているときとしていないときの差が激しく、極度な集中状態にある私は声をかけにくいと感じるほど集中しているそうだ。これは狂気的になっているからこそ周りが驚くほどの集中力を働かせられると言える。狂気は一種の興奮状態のことであるが、これが思わぬ力を出す原動力となっている。もしも狂気とは正反対の立場に位置する冷静さのみであれば、このような力を発揮することは少ないだろう。京都工芸繊維大学の生体行動科学前半レポートによると、通常、私達の筋力は心理的限界によって制限されるが極度の興奮状態、つまり狂気的であればこの限界が生理的限界に近付くことがあるそうだ。心理的限界は生理的限界の約70%程度とされるが、極度の興奮状態ではこれが上昇してより大きな力が発揮されると分かっている。狂気によって自分の奥にある力を表へ出すことができるのだ。
確かに冷静な判断がなくなれば道を踏み外す危険も考えられる。しかし「変化を恐れてはいけません。変化を受け入れることで、成長と進歩がもたらされます。」というアインシュタインの名言がある。このように興奮状態と変化を求める心を指す「狂気」によって充実した人生を送ることができるのだ。私はこれからも狂気を持って恐れず次々と自分のやりたいことに挑戦していきたい。このことから時には狂気に見える行動が大切だと私は考える。