日本的表現の良さ
中1 あかるら(akarura)
2025年3月2日
日本人が淡泊である代わりに持久力に欠けていると言われるのも、生活習慣に左右されている部分があるのではないか。この傾向が言語に影響しないはずはない。これが和歌や俳句という詩型を生み出し、日本人の感性、言語、思考を決定するほどの力を持ってきたように思われる。もちろん二つの詩型には相違があるが最もよく似ているのは言葉の論理に背を背ける点だ。日本の和歌や排句には論理を越えた論理があるのだ。私は短い言葉で直感的に言葉を表現し理解する日本のコミュニケーションは良いと考える。この理由は二つある。
第一にインパクトが出ることで相手に内容が響きやすいからだ。「相手に内容が響く」とは相手に自分の主張が伝わり、理解されるということを指す。 私はスピーチライターであるひきたよしあきさんが書かれた「短くても伝わる文章のコツ」という本を読んだことがある。この本では短くかつ分かりやすい文章を作成するための方法が全体を通して説明されていることで、私もこの本がきっかけで表現の仕方を考えるようになった。例えばカキカッコを活用し自分が強調したい言葉や文をくくるというのはこの本から学び私が普段から行うものの一つだ。これによって短く簡潔に自分の主張をインパクトのあるものにできている。一方スピーチや文章の過度な長さは聞き手や読み手に「分かりにくい」という印象を与えてしまう。私は国語の授業でビブリオバトルを行った際、同じ班の友人が過度に長く説明してしまった。そのスピーチでは本のあらすじや自分の主張と結論は述べられていたものの、本論となる部分の説明が曖昧になっている上まとまりがないため本来収めなければならない時間を超過していたのだ。そのため聞いていた側としても最終的に彼女が一生物命伝えようとしていた事柄を全て組み取ることができず理解に苦労した。文章や説明の長さはその結果として伝わりにくさに比例してしまう場合がある。要点が不明瞭なまま、長く書けば書くほど主張の焦点がぼやけてしまい、これが分かりにくい文章の要因になっていると考える。米SMB Communicationによると社内コミュニケーションの弊害による生産性の損失は従業員1人当たり年間約2万6000ドルだそうだ。だからこそ短く直感的に表現することで、心に響きより相手の立場に寄り添った文ができるのだ。
第二に、言語表現が豊かになるからだ。短く直感的に表現しようと試みる私達の文章での努力がレトリックという文章表現の技法の数に表れているのは確かだ。基本的なレトリックの一つである比喩表現をはじめ、隠喩や対句法、誇張して表現する誇張法など三十以上もの種類がある。特に直喩は私達も日頃から活用しているのではないだろうか。例えば小学校低学年の「滝のような大雨」など比喩を学んだ授業を私は今でも覚えている。また「山のような資料」という言い回しも私達が意識せずとも何回も使う表現の一つだろう。もしこれらの表現を例えば「膨大な数の資料」などに変えた場合、比喩を用いたものと比べてそれがどれほどなのか具体的に分かりにくい。つまりレトリックを使った表現によってより少ない字数で鮮明に状況を思い浮かべることができるのだ。
確かに論理的思考は誰にとっても分かる筋の通った文章を書くためには大切だ。しかし「言葉は短く、心は深く。」という言葉がある。短くかつ直感に訴えかける日本独自の表現は相手を一瞬で引き付ける効果があるのだ。私はこの話を通して何事もまずは完結に伝えるということを意識していきたいと思った。このことから短い言葉で直感的に言葉を表現し理解する日本のコミュニケーションは良いと考える。