囲炉裏の社交は、家族結合の
中3 あきいの(akiino)
2025年3月2日
囲炉裏の社交は、同じ火を囲むことで心が通じあう不思議な力を持っていた。同じ火のぬくもりと光を受けることのできる場を家庭の象徴とすることは東西共通なのである。火の管理は単に物理的現象としての日の管理をするというだけでなく、その火をめぐる人間集団の管理を含むものでもあった。私はこのような非合理的な気持ちも大切にして生きていきたい。
第一の方法として、自分の心の声に耳を傾けることである。中学二年生の夏に部活の練習でチーム対抗のゲーム練習をすることになった。二つのチームからそれぞれ一人ずつ出して、軽いゲームを行い、勝利数が多いほうのチームが勝つという内容だった。はじめはそれぞれ互いに勝つづけていた。途中で味方の一人が足をひねってしまい、動けなくなってしまった。そのまま交代し、次の人が相手チームと対戦すれば、勝てたかもしれない。しかし、その人なしで勝つのはチームで勝てたとは言えなくなってしまう。そのため、相手チームに勝利を譲って中断することにした。チームメイトの感情を優先したことで、負傷した部員とはより親密度も増し、同じ部活の仲間としてその後も協力的になることができた。非合理的だったとしても、人間関係を深めることができた。
第二の方法として、社会の仕組みも、非合理的なものを大事にするような余裕のあるものにすべきだ。アメリカのルーズベルト大統領は、世界恐慌で仕事を無くした人のためにニューディール政策を考えだしたり戦後に国際平和のために貢献した人だ。この大統領は、世界恐慌が起きた時に、大統領自身がラジオで話しかける、炉辺談話というものを行い、恐れずに銀行に対する信頼をもつように呼び掛けたりした。第二次世界大戦などではアメリカが連合軍に武器を提供する理由も話した。それぞれの談話では、専門用語や難しい言葉などを使わずにわかりやすい言葉で話しかけることを心がけた。親しみやすい口調にもすることによって国民に対する信頼感を作り上げた。教育から変えていくことで、非合理的なものを大事にする社会に変えていけるはずだ。日本の教育では、試験の結果が大事にされていて、そのためにはとにかく知識をつけるための勉強が行われているので、生徒は自由に疑問を考えたりすることはあまりない。生徒たちが批判的思考や、本人が正しいと考える行動をとらせる教育を取り入れることで、感情や直観と知識をバランスよく活用できるようになり、生徒の意見の主張を強めるられる。その教育を受けた国民は、一人一人が国のために考えるようになる。自分の意見を主張しない教育から自分の意見を考えさせて伝えるような教育にすることで、考えたことを主張し、伝え合うようになり、より自立した国民となる。
確かに、非合理的な考えは合理的でないし、効率も悪い。しかし、非合理的な考え方がされることによって、人間の間の関係がよくなり治安も良くなる。人々に活気をつけることにもなり、情報社会による不安なども解消される。「カメラマンはレンズのほこりを払う前に目のほこりを払わねばならない」という名言がある。合理的なもので物事を進めるのではなく、非合理的な、人の感情を考えた行動をすることで人類としての絆が深まり地球人としてつながっていけるだろう。地球全体の人が一体となって協力すれば、様々な国際的な問題も解決される。だから私は非合理的な気持ちを大事にして生きていきたい。