非合理的に生きる
中3 あえもも(aemomo)
2025年3月2日
イロリの社交は、家族結合の社交であった。客人も、おなじ火をかこむことで他人ではなくなる。火は人間を近づけるのである。イロリの社交の四辺には、座る場所が決められており、それぞれの座に座って、イロリをかこみ、世間話をしていた。火は、家庭の健在をしめす象徴でもあるのだ。これは、西洋でも考えられる。西洋の家には、たいてい暖炉がある。イロリと暖炉は、社会構造は違うものの、おなじ火のぬくもりと光を受けることのできる場を家庭の象徴とすることは、おそらく東西共有なのである。火が人間を接近させ、親密さを強める効果をもっていることをわれわれは直観的に知っている。人間の火の管理は、暖房、照明、調理などの物理現象においてだけでなく、火をめぐる人間集団の管理をもふくむのであった。このことから私は、人間の感性を大事にした非合理的な生き方をしたい。
その方法としては第一に、自分自身の欲求を大事にすることだ。私はカレンダーを見るとき、日付の確認と共に、「六曜」が気になる。「六曜」は、十四世紀ごろに伝来されたと言われる古い歴史があるが、名称や順序が変遷されながらも、今もなお、カレンダーには記載されてあるものが多い。我が家では、冠婚葬祭などの特別な行事を、六曜に沿って行う習わしがあり、その影響で、家族は、新品の物を使い始める日まで、六曜を気にして「大安」に卸すようになった。私も、つい最近までは、新服の初の着用日は「仏滅」ではない日と決めていた。これには、大した根拠はない。ただ縁起が良い日に合わせることに失敗はないと思っていたからである。しかし、この頃の私は、六曜に頼らず、自分の欲求を優先して新服を卸す日を選択するようになった。すると、今までの、新服を着たい日に着用できない、という苦痛がなくなった。このように、生活していくうえでは、物事の重要性、他人との関係性などの塩梅を上手くかんがえながら、自身から生まれ出る欲求も無駄にしないことが大切だ。
第二の方法は、少々の手間も惜しまないことだ。社会は今、多忙な人であふれている。そのような中、メディアでは、短時間で効率的に行動するコツが様々な視点から取り上げられている。特に耳にするのは、「食事」についてだ。近年では、バライティに富んだお惣菜や、一本で満腹になるお菓子など、画期的な食品が出回っている。そこで、問題となるのが、食器を使用しない、ということだ。食器は、用途に合わせて、大きさも違えば、形も違う。特に一人世帯の人にとっては、極力使用を控えたいと感じるものだろう。一人暮らしの祖母も、購入したお惣菜は、パックのまま食べていることが多い。母の知り合いの某主婦は、子どもが多いため、洗い物を軽減するために、使い捨ての紙皿で料理を出すという。私は初め仰天したが、スマホで連絡を取って、インターネットで情報を集めて、と空きの無い毎日を過ごす現代の大人には、それも当たり前と言えるのかもしれない。何せ今や、洗い物が全く出ない料理のレシピさえある。しかし、食器に盛り付けるひと手間を加えることで、格安のお惣菜も一気に質が上がる。また、外観が良くなることで、食品に対する感謝の心が芽生え、「食事」というものの本来の意味も分かってくる。少々の手間も惜しまずに行動することが、人間の感性を磨くことに繋がるのだ。
確かに、合理的に行動する方が、社会における任務は早く片付く。しかし、「限られた人生で、大事なことは、『何をするか』ではなく『何をしないか』である。」という名言もあるように、身の周りの風潮に惑わされず、多忙な中でも、自分の感性と向き合っていくことが何より大切だ。火を通じて人間の心が通い合うように、非合理的な人間の感性は、自分の心を満たすだけでなく、他人の心をも社会の枠から外し、豊かにすることができる。そのために私は、合理的に進んでいく世の中に流されず、自分の気持ちや、人間だからこそできることに、関心を持って生きていきたい。