広大な世界
中3 あかれり(akareri)
2025年3月2日
外国人が日本の着物を着るとか草履をはくとか、そういうことがあったら、日本人は何となくおかしいと思うがアメリカ人はまさに逆である。日本人もアメリカ人も全く同じものを喜ぶのだと思いたがり日本人がアメリカ人と違うと気が付いたら、時間の問題にすぎない、いずれそのうち全く同じになるに違いない、と思う。日本人の立場にもアメリカ人の立場にも、全く悪意がない。しかし、悪意がなくても相互理解のためによくないと筆者は述べている。グローバル化が進んでいる一方で各国の伝統を大切にすべきという声尾も多いこの現代で相互理解を深めることは難しいといえる。
わたしは自分の意見だけが正しい、唯一の選択だと考えずに広い視野を持つことは大切だと考える。つまりは自己中心的に考えるのではなく、周りの意見を取り入れる必要があるということだ。なぜなら自分の意見が正しく唯一の物であると考えてしまうと他人の意見を受け入れられず新しいことを学ぶ機会を失ってしまうからだ。周囲の人と意見の相違があれば相手が間違ってると自分自身を正当化し他人との無駄な対立、そしてその影響により「この人とは議論できない」と思われる結果によって孤立することまで考えられるからだ。つまりどんなに優れている考えでも絶対に正しいとは限らないということだ。 これは様々な場面で言えることである。例えば、昔は「女性は家庭にいるべき」や「奴隷税度は必要悪」といった考えが優れているとされていた。しかし、現代ではどちらの考え方も誤りだと考えられている。そのように考えている人の方が少数派になっている。また、身近な例でいうとダイエットに関する事案である。「脂肪は太るから完全に避けるべき」という考えが多く言われていたが実際のところ「適度な脂肪はむしろ健康に良い」とされている。自らの意見を絶対と考えないことが大切なのだ。
しかし他人に煩わされず自分の世界を深く掘り下げていくことも大切だ。周囲の人の意見や流行に流されてしまうと自分が本当にやりたいことが分からなくなってしまう。友達が好きだからと言って自分もそれを好きになるのではなく、自分自身がどう考えているのかを自問自答して考えねばならない。勉強や研究などもそうだ。テストに出ることだからと言って勉強するのではなくこのテーマ、内容について興味があるから、と考える姿勢のほうが大きな発見につながることもある。桃太郎でもおじいさんやおばあさんがとめるのをきかず鬼討伐に行くことにした。自分の意見を尊重して信念を貫きとおした結果鬼討伐に成功し平和を勝ち取ったのだ。
たしかに広い視野を持つことも内側の世界を広げていくこともどちらも大切だ。しかし一番大切なことは「われわれは多くの点で違っている。しかし、その違いこそが、互いを尊重し、学びあう理由となる。」という名言があるように互いに尊重しあうことである。そうすることで私たちが見る世界は一段と広く、鮮やかになるはずである。