物との関わり
高1 わてひ(watehi)
2025年3月1日
手紙を書く文化が急速に衰退し、郵政省の調査では、国民の七割が年賀状を除き一年間に一通も手紙を書かないという。特に中高生は、電話での会話が中心となり、リテラシーから離れた生活を送っている。その結果、「私はこう思う」という主体的な表現が失われ、「あいつがこう言っている」というゴシップが日常を占めるようになっている。手紙を書くことは、言葉を選び、考えを整理し、相手に伝える行為であり、物を通じた豊かな表現を可能にする。手紙のような形あるものと関わることが、人々の思考力や表現力を育む上で重要なのではないだろうか。もっと物との関わりを持つべきだと私は考える。
現代では、便利さが優先され、物との関わりが薄れている。特に、若者の間では手紙を書く文化が衰退し、コミュニケーションの多くがデジタル化している。しかし、もっと物と関わりを持ち、手作りの価値を見直すことが必要ではないだろうか。私の学校は学食がなく、基本的にお弁当を持参するのだが、時折コンビニのお弁当になることがある。手作りの料理とコンビニのお弁当を比べてみると、その違いは明らかだ。コンビニのお弁当は手軽で美味しいが、食材を選ぶ手間も、作る時間も視覚化されないため、深く味わうことが少ない。一方、手作りの料理は、食材を選び、切り、煮るという過程が、視覚化され、作り手の思いが込められ、食べる人、つまり私にもその気持ちが伝わる。手間をかけた分、満足感や思い出に残る度合いも大きくなる。これは様々なもの、ことに通じるだろう。手書きの手紙や手作りのプレゼントは、相手のことを考えながら作るため、そこに特別な価値が生まれる。ただ便利なものを消費するだけでなく、物を通じて気持ちを伝えることが、人間らしい豊かな関係を築くことにつながるのではないだろうか。
学校教育において実験や調査などの体験的な学びに力を入れることの重要性が浮かび上がる。 トーマス・エジソンは幼少期から実験を繰り返し、試行錯誤の中で発明の才能を磨いていった。彼は独学で学びながら、実際に手を動かして電球や蓄音機を開発した。もしエジソンが本や理論だけで学び、実際に実験をしなかったとしたら、彼の発明は生まれなかったかもしれない。彼の成功は、知識だけでなく、物と向き合い、試行錯誤することの重要性を示している。 しかし、現代の学校教育では、理論中心の授業が多く、実験や調査などの体験的な学びが不足している。知識を得るだけでなく、実際に手を動かし、自ら考えて試す機会を増やすことで、創造力や問題解決能力が育まれるはずだ。エジソンのような発想力を持つ人材を育てるためにも、物と関わる学びにもっと力を入れていくべきではないだろうか。
確かに、今日では情報処理のセンスを身につけておくことも大切だ。しかし、「人間とは、知識ではなく、知恵で生き残っている」という名言がある。その根底には物や人との関わりがなければならない。情報に意味があるのは、情報そのものに価値があるからではなく、その情報が背後の実体に結びついているからである。鵜(う)の真似をする烏(からす)は、水に溺(おぼ)れる。カラスは、真似をするのではなく、実際に泳ぐ練習をするべきだったのである。