当たり前とのお別れ
高1 なおや(aamaka)
2025年4月1日
今日の社会では、様々な情報がSNSなどを通じて行き交っている。私達はこの情報から、真実かどうか疑う力が求められている。
その中でも、AIを用いた政治家の偽動画などは悪質な社会問題となっている。私達はこの玉石混交した社会でどのようにライフハックを身に着けていけばよいのだろうか。私達はより、疑問を持つことの大切さを見直すべきだ。
第一の方法としては、一つ一つの行動に責任をもつことである。私は行動をするとき、その理由をとことん追求してしまうたちである。学校では、廊下を走るなという当たり前の規則が一つの校則として掲げられている。しかし、先生は例外のようだ。先生はどんなに走っても咎めるものは誰一人といない。先生も転ぶときは転ぶはずだというのに。このように、規則が当たり前にある社会で、その規則は本当に必要なのか、疑問視する力が必要となっている。ヘヤー・インディアンはカナダ北西部の狩猟採集民である、驚くことに、彼らには文化の中で「師弟関係を持たない」社会が形成されているのだ。彼らに誰から狩猟の仕方を習ったのか、質問をしても「自分で覚えた」の一点張りであったのだ。彼らにとって、学校に通い、何かを学習するのではなく、自分で考え、行動に移し、できる人のやり方を吸収していくことが当たり前なのだ。その行動が自分にとって必要か否かを判断することはこの先も一生続くことであり、大事な武器となっていくのだ。
第二の方法として、とりあえずやってみる精神を取り入れることである。白熱電球を発明したことで有名な「トーマス・エジソン」は多くの失敗と試行錯誤から、様々な発明をした人物で、「発明王」とも呼ばれている。彼の人生は「失敗は成功の元」をそのまま体現している。何か正解を導き出したり、良い結果を残すことよりも、挑戦し続けることこそが大事なのかもしれない。日本産の果物は品質が高いことで有名であるが、値段の高さがネックとなっている。その中で外国産の果物は価格帯が比較的低いため、国産の食材より、多くの食材が外国産が店頭を締めている。しかし、生産者の労力や品種改良など多くの試行錯誤を無視することはできないのではないか。このように、価格という結果だけでなく、その道のりをも考えていく事が必要なのだ。私達は疑問を持ち続ける必要があるのだ。疑問に思う前に行動が先に出たしても、その行動の中で疑う力を身に着けていくことが成長の要へとつながっているのだ。
確かに、素直に忠告を受け入れることも大切である。しかし、「疑問