疑問
高3 あかしか(akasika)
2025年4月1日
今日の社会では、様々な情報が出回っているため、正しい情報を見極めることは難しい。先日、ニュースでSNSアプリのXに書かれていたチロルチョコから虫が湧いたというポストがデマであったという報道を見た。もしこの騒動が記事に取り上げられなかったらXで見た人のほとんどが鵜呑みにしてしまい、チロルチョコを作っているチロルチョコ株式会社の他の製品への不信感を抱くことになったかもしれない。私たちはもっと疑問を持つことを大切にするべきではないか。
第一の方法としては、自分なりの基準を持つことである。基準があればそこから外れた時に疑問を持つことができるからだ。例えば、高額報酬が受け取れるバイト、いわゆる闇バイトなどもこの方法で見極めやすくなるだろう。仕事内容と報酬が釣り合っていない場合、疑問に思うことで一歩立ち止まることができるだろう。そこで疑問を持てなかったら高額報酬の誘惑に負けて申し込んでしまい、最悪のケースでは犯罪に巻き込まれてしまうかもしれない。基準をベースにすることで出てきた疑問をそのままにしないでおくことが自分の身を防ぐことにつながることもあるのだ。
第二の方法としては、主体的に考える社会を作ることである。最近の社会ではマニュアルがあって当然のような風潮がある。やり方を与えられすぎると自分でやり方を見つけるよりも楽なため、そのマニュアルに頼ってしまい、疑問に思うことがほとんどなくなるだろう。しかし仮に疑問が出たとしてもマニュアルを用いていると作業が丸暗記のため、発展的な疑問ではなく疑問の質問である可能性が高いだろう。ある程度までは自分で考えることによって発展的な疑問を持つことができるだろう。
確かに、素直に物事を受け入れる姿勢を持つことは大切である。しかし、「情報は真実ではなく、材料である」の名言のように、情報を鵜呑みにするのではなくて材料としてどのように使っていくかを考えることが大切である。少しでも疑問を感じた情報は自分の中で処理をしてから材料として活用するとよいだろう。最近ではXなどで注目を浴びたいから事実を誇張している投稿もよく見られる。そうした中で自分の中に取り入れる情報のフィルターとして疑問を持つことを大切にしていきたい。